2010年03月12日
ベトナム事務所員会議:M君日本へ帰国
快晴
久しぶりに太陽が出る。
気温25度。
午前7時朝食。原田先生はフエ高等師範大学の試験ため
早めに出勤。
茨城県「火炎樹の会」の方が定期的に日本料理店の
箸袋を贈ってくれている。
今回は3月3日のひな祭りにあわせて小型の雛人形を
送ってくれた。毎回のこととはいえ感謝。
午前8時、ベトナム事務所員会議。
ベトナム事務所の仕事の洗い出し。新しい担当者の分担、
新しい仕事の意義などについて協議。
午前11時半、昼食。
30分ほど昼寝。
午後1時、「ハイリーホテル」をでてベトナム事務所へ。
バオミンさんと一緒にフエ市人民委員会外務部長と
懇談。
フエ市・静岡市の協力友好活動について、フエ市とJASS
との一層の提携・協力の進め方についてなどを協議。
午後3時、ベトナム事務所で日本料理店副店長のTさんと
日本料理店のあり方などを協議。
大塚さん、バオミンさんも参加。
午後5時半、2週間のフエ体験を終えたM君が帰国。
日本料理店のこどもたちとお別れ。日本料理店の
こどもたち一人一人にM君は花束を贈呈した。
なかなか洒落たことをする若者である。
悪友のリー君と
日本料理店の皆さんと
いよいよフエ空港へ。日本料理店でこどもたちとお別れ。
日本料理店の大塚さんから激励の言葉
私とソン君でフエ空港まで見送る。
フエ空港着。午後7時半出発のハノイ便が1時間10分分遅れて
8時40分発となる。事前にリコンファームもし出発時刻も
確認していたのだが、何ら理由を示さず、70分の遅延。
フエ空港の外にある簡易レストランで40分ほど休む。
早めにチェックイン。
フエ空港でM君を見送る。また機会があったら来年の
春にでも着て欲しい。無事の帰国を祈る。
M君を見送り日本料理店へ。午後7時過ぎ、夕食の名の
フダ生ビールを飲む。
今日は8人の来客。オランダのお客さんが、こどもたちの
ことについて質問。
午後9時閉店。
「ハイリーホテル」戻る。
2010年03月11日
BIMH君退所式:M君送別会
少し雨・後曇り 気温20度。寒い
午前7時朝食。
マカロニスープ
午前8時から12時まで刺繍工場で打ち合わせ
午後2時、「子どもの家」で「BINH(ビン)」君の退所式。
1999年に「子どもの家」へ入所。
クアンチ省から弟のアン君と出てきて、フエ駅で一週間
寝ていた。近所のおばさんが、ベトナム事務所へ連れてきた。
私が対応し、朝食を摂っていなかったので、近所の
ブンボー屋からブンボーを取って食べさせたのが最初の
出会いであった。
それから11年。ビン君は21才になった。
今日はクアンビン省にいる67才の「お祖父さん」が「子どもの家」に
来て退所式に立ち会う。
父親は精神疾患。母親はホーチミン市の更に南で
魚取りの手伝いをしている。
ビン君の従兄弟がホーチミン市でミシン工場を経営している。
両親と祖父の希望、そして本人の要望があり、ホーチミン市
のミシン縫製工場で従兄弟がビン君を受け入れるとのことで
退所が決まった。
ビン君の退所の意思を確認する。「21才になり、自分で
働き自立したい。また親戚で生活したい」との意思を表明。
退所式を行う。
ロック寮長が「退所認定書」を読みあげる。
祖父が家族を代表して「退所承諾書」にサイン。
「子どもの家」運営委員長のセンさんが、退所認定書にサイン。
退所式を済ませ記念撮影。
11年間の「子どもの家」での生活を終える。
弟のアン君は中学3年生。今年の夏に高校を受験する。
「子どもの家」で高校受験したいとの希望があり弟は
「子どもの家」に残留する。
祖父と孫のビン君。
祖父とクアンビン省の実家へ帰り、その後ホーチミン市へ行く。
いよいよお別れ。ビン君は私に「11年間お世話様になりました。
この恩は忘れません」と挨拶をして退所していった。
午後5時、日本料理店へ。
北海道の菊先生の紹介で「子どもの家」を視察した
お二人。体調を崩し、おかゆを日本料理店で食べる。
午後6時。明日帰国するM君の送別会。
近くの美味しい「ベトナム家庭料理店」でM君の送別会を行う。
参加者は日本料理店のこどもたち、大塚さん、ミンさん、
原田先生。
今日はM君の送別会があるので日本料理店は閉店。
リー君は閉店を見越して既にアルコールが入っている。
日本料理店のこどもたち一人一人から送別の記念品贈呈。
バオミン委員長の音頭でM君の前途を祝し乾杯。
リー君とは怪しい所へ連れて行かれた「社会勉強」をした。
今日のベトナム料理は本当に美味しい。一般家庭料理なので
値段も適正。
鳥肉
M君が日本料理店のこどもたちなどに「お礼の挨拶」。
日本料理店のこどもたち一人一人がM君へ激励の挨拶。
リー君。人生の幸せと健康、大学受験の成功を祈ると発言。
グエットさん。
M君と一緒に日本料理店の仕事をして楽しかった。
健康で大学受験の成功を祈ると。
TUOIさん
2週間日本料理店の厨房で一緒に仕事がで来て楽しかった。
日本へ帰っても日本料理店を忘れないで欲しい。
ヒエウ
健康に気をつけて。
午後8時半、M君の送別会終了。
2010年03月10日
急激な速さで「冬」に戻る
終日雨 気温15度。 湿度90%
寒い。気温が20数度減少。体がついてゆかない。
フエに来て17年。3月にこんなに寒くなったのは初めて。
世界の異常気象のベトナム版か?
午前7時朝食。
朝食後、在越ベトナム大使館との話し合い。
関係メールの受信・送信。
午前11時半昼食。とにかく今日は寒い。フエの真冬の
服装となった。
午後12時半から1時間昼寝。
その後、帯広の支援者へFAX送信。
バオミンさんと重要な問題を電話で話し合う。
刺繍関連の問題で東京のマルタカ社長と何度か電話で
話し合う。
訪日する「子どもの家」のこどものビザ取得問題、
東京での活動、帯広での活動などの準備。国内飛行機便
の予約を依頼する。
午後5時半、日本料理店で夕食。
ベトナムへ帰国して初めて日本料理店のこどもたちと
夕食を摂る。
今日は日本人2人、欧米系7人の来店。
午後9時過ぎ閉店。
日本料理店のこどもたちとM君の記念撮影
M君は日本料理店のこどもたちとすっかり友達になってしまった。
特に元店長のリー君とは刎頚(ふんけい)の仲。
午後9時半、「ハイリーホテル」へ。
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2010年3月9日「朝日新聞」の記事である。
ベトナムの「子どもの家」を支える会「静岡の会」の
中学生だった笠井哲也君が朝日新聞の記者となり書いた
記事である。
中学から何度もベトナム「子どもの家」へ訪問している。
またJASS静岡の会の活動に参加し、様々な取り組みを
行っている。国連の子どもの権利条約の10周年の
見直しの民間報告団としてジュネーブの国連本部へ
こどもたちの意見をまとめて提出したりしている。
今日は東京大空襲65周年。
他社の新聞はいつもの東京大空襲で家族が死んだ、
知り合いが死んで大変だったと言った基調の記事。
(インターネットで読める範囲だが・・・)
3月9日付けの朝日新聞の「笠井哲也」署名の記事は
一味違ったものだった。
65年前に東京大空襲で親を失くしたこどもたちを
「少年の家」を作り助けた」奥村政吉さんの活動を
報道している。私たちが行っている活動を既に
65年前に行っていた「豊村政吉」さんという先人がいたという
貴重な記事である。
笠井哲也君はJASS静岡の会事務局長の
笠井先生のお子さん。私たちの「子どもの家」支援活動に
中学から長年関わってきた。そうした経験があるので
他社の新聞とかなり味わいの違う記事が書けるのである。
一読の価値のある記事である。
JASS活動17年。かつては中学生だった若者が社会にでて
JASS活動の精神を体現し、このような記事が書けるように
なったことに私自身が自信と誇りをもてた。
「一粒の種」が更に社会に広がり、様々な分野で活躍する
若者が多く輩出して欲しい。
笠井哲也君の成長と活躍を祈る。
2010年03月09日
雨 気温が急激に下がる
終日雨
午後10時の気温18度。数日前までは38度だった。
一気に20度も気温が下がる。寒い。
午前6時起床。昨日の酔っ払い警察官との交通事故で
傷をうけた左手が痛い。
大学時代の同級生のTさん(針灸鍼灸師)が治療法を
メールしてくれる。助かる。
初日は冷やし、その後温めるとのこと。
その通りに「冷湿布」をし、夜、お灸を据える。
夜、かなり楽になる。打撲痛。
午前7時朝食。
午前中、マルタカの社長とSKYPEで1時間打ち合わせ。
刺繍の件。
昼食。
午後12時から1時間、昼寝。
この2ヶ月ほどほとんど休みなく仕事をしている。疲労困憊。
とにかく体を休めたいという欲求。読書の意欲なし。
午後3時、雨の中、ベトナム事務所へ。
バオミンさんと刺繍の件で詳しく打ち合わせ。
ハノイの日本大使館に「子どもの家」のこどもの
訪日ビザを申請。インタビューをするのでハノイの
大使館に出頭しろとのこと。
あまりに馬鹿馬鹿しいので、大使館に電話で抗議。
17年間、数十人の「子どもの家」のこどもたちやスタッフ、
関係者を訪日させ、日越親善交流のために努力している
のに、今回訪日する「子どもの家」のこどもが怪しいの
のでハノイで顔を見て話を聞きたいとのこと。
今まで何度も訪日申請をしていてハノイまで出て来いなどという
馬鹿な話をした日本大使館のビザ係りはいない。
フエからハノイまでの往復飛行機代は2万円。
一般労働者の2ヶ月分。そんな話をビザ担当のY氏にしたが、
「ダナンでもフエでも全員にハノイへ来てもらっている」と
権力者の手先振りを披露。「子どもの家」のこどもたちのような
貧乏人が2万円をだしてわざわざハノイまで行って面接し
訪日するなどできるわけがない。常軌を逸した在越日本大使館
の行為である。電話で厳重に抗議。在越大使館のHPに
訪日ビザ申請の要項が書いてあるが、ハノイまで行って
面接をするなどということは書いていない。
ビザ担当者のY氏の個人的な趣向である。ビザ申請は
HPなどで公的に広報しだれでも同じ様な条件で行われなければ
ならない。在越日本大使館のビザ担当のY氏の個人的な嗜好に
よるビザ申請に厳重に抗議する。
今日、ハノイの知り合いのベトナム人に「子どもの家」のこどもの
ビザ申請書を渡し、在越日本大使館に申請書を提出してもらった。
ところが、在越日本大使館は受け取りを「拒否」した。
理由は、「子どもの家」のこどもの訪日費用の支出者が書かれて
いないという「難癖」をつけてきた。
訪日理由書、招待状など3通の書類に「「子どもの家」の
こどもの訪日費用は全額JASSが負担する」と明記している
申請書を大使館に渡してあるのだ。
大使館の「無能な受付スタッフ」がJASS日本の山西
副代表の書いた招待状などの書類を全く読まずに「恣意的」
に受け取りを拒否するという暴挙に出た。
在越日本大使館の恣意的・無能なビザ業務を厳しく
糾弾したい。ベトナム人を頭から疑い、不法入国者に
なるのでは?の思いから審査を厳しくするのは理解できるが、
その前に大使館自体の審査の無能を自己批判すべきでる。
訪日者の費用弁済は全額JASSが行うと3つの書類に明記して
いるのに、その文書さえ読まずに、のっけから受付を拒否した
在越日本大使館のYビザ担当者の無責任体質、私たちの税金で
生活している自らの身分の無理解に反省を求めたい。
ベトナム人に厳しくする以前に「Yさん、あなた自身の仕事に
厳しくしなさい」と納税者として厳しく注文をしたい。
ベトナム人の書いた申請書を読まずに受け取りを「拒否」しながら、
ベトナム人は信用できないのでハノイまで出て来いという
思いあがった在越日本大使館員の態度に幻滅を感ずる。
外務省設置法には、海外との友好・交流という文言がある。
私たちは文字通り17年間かけて行ってきた。
私は敢えて言いたい。
1993年にフエに来た私が3年間、在留届けが出せなかった。
外務省設置法では、在外公館は在留日本人保護が第1の
使命であると明記されている。
1993年9月にフエに来た私はハノイの大使館と
ホーチミン市の総領事館の争いで、フエが大使館管轄か
総領事館管轄かで両者がもめ、結局3年間、フエにいる
私が大使館に在留日本人登録をするのか、ホーチミン市
の総領事館にするのかが、外務省内部の争いで
決まらなく在留日本人登録ができなかったことを
現在のビザ担当のY氏は総括すべきである。
「大使館の決まり」などと連発するが、あなたたちは、
自分たちの都合であれば、法律さえ無視しているの
である。国民の権利である「在外公館から邦人保護」を
受ける権利を大使館と総領事館の争いのために
侵害された3年間の経験がある。
ビザ担当のY氏へ告ぐ。決まりとかなんとか言っているが
あなたたちは、自分の都合であれば、法律さえ蹂躙して
していることを自己批判できますか?
人のことを言う前に自らが決まりを守らなかった過去の
精算を今に生かし、意味のないお役人主義をこそ精算し、
日越友好の先頭にあなたは立つべきである。
本来なら実名を挙げてあなたの非常識な嗜好を批判したい。
公務員は国民から批判される義務をもつのである。
午後7時。地球の歩き方3班の最後の晩餐会。
ツアーリーダーがソン君の結婚を祝う祝辞を述べる。
ツアーリーダーよりソン君に結婚の寄せ書きが贈られる。
晩餐会が始まる。最初にグエットさん・リー君のメニュー紹介。
添乗員より今晩の飲み物は「飲み放題」との提案あり。
男性代表の乾杯の音頭。
こどもたちが作った今晩の夕食
午後8時45分まで会食。
午後8時50分。日本料理店研修のこどもたちの紹介。
その後、全員で記念写真
午後9時半、「ハイリーホテル」へ戻る。
2010年03月08日
地球の歩き方3班ナムドン山岳少数民族交流へ
朝小雨
気温が少し下がり、肌寒さを感じる。
午前7時朝食。
午前8時、ベトナム事務所へ。
午前9時半、地球の歩き方3班が投宿しているズイタンホテルへ。
今日は地球の歩き方3班が「ナムドン山岳地帯」のカトゥー族との
交流へ。
ナムドン山岳地帯へのツアーについての諸注意。
今日の添乗は、バオミンさん・リー君・M君・私の4人。
午前10時、ナムドン山岳地帯へ出発。
現在ナムドン山岳地帯は大きな道路拡張工事が行われている。
午前11時半、ナムドン山岳地帯の中腹にあるレストランへ到着。
昼食を摂る。
午後1時、ナムドン山岳地帯の「トゥオン・ロー村」へ。
既に村人が総出で歓迎体勢に入っていた。
今日は3月8日。「世界婦人デー」。学校は1時間程度で
下校となり、こどもたちもたくさん来ていた。
国際婦人デーなので女性の参加者には、花束が贈呈された。
支援物資を持ってツアー参加者は交流会場へ。
交流会場にはたくさんのこどもたちが集まっていた。
はじめにトゥオン・ロー村の村長さんと文化部長の挨拶。
日本人とカトゥー族の皆さんが一緒に座り交流会が始まる。
こどもたちの目が澄んで見えるのは何故なのだろうか?
日本側代表団長へ村長さんから村特産の蜂蜜が贈呈される。
カトゥー族の皆さんの歓迎の踊り
お返しの日本側の出し物(歌)
両者の出し物が終わり、一緒にカトゥー族の伝統の踊りを
おどる。
村の最長老(80歳)が水牛の角笛を吹いてくれた。
現在、カトゥー族ではこの長老しか吹けないとのこと。
文化交流会終了後、庭に出て綱引き。
全ての試合に日本側は敗北する。
その後、交流会場に戻り、カトゥー族のもてなしを受ける。
カトゥー族の手作りの焼酎を飲む。リー君は19杯のんだとのこと。
前回は20杯なので1杯少なかったと悔やんでいる。
19杯焼酎を飲んだ後、歌を歌う。リー君恒例の「失恋」の歌。
彼に取っても現在進行中の心境である。
午後3時半、全ての交流会が終了し、フエへ帰る。
全員の記念撮影。
午後5時半、フエに帰着。
午後7時から私、添乗員、原田先生、Mベトナム事務所員の
4人で日本食を堪能する。
午後9時過ぎ閉会。
電動自転車で「ハイリーホテル」へ帰宅する途中、
交通事故に遭う。私が低速で走っていると3人の
人間が突然、電動バイクに当たってくる。
私が右側の端をゆっくりと走っていると「3人の酔っ払い」
が私の右手の飲み屋から「泥酔状態」でふらふらと
道路に出てきて、私の右側から電動バイクに当たる。
私は左側に倒れ、左手のひじと肩を強打。
左手にしていた時計を破損する。
飲み屋の対面には、フエ省警察の消防本部がある。
3人は警官の服装をしていた。飲み屋で飲んで
対面の消防警察本部に帰る途中だった。
3人の警察官と話をしようとしたら、3人が逃げていく。
飲み屋の女将(おかみ)が馴染みの3人の警察官を
裏口からどこかへ逃がしてしまい、
私に「あなたは外国人。交通事故は自分が悪い」と暴言。
たくさんの「見物客」に取り囲まれる。
見物人のベトナム人は、「警官を相手にケンカしても
しかたがない。あなた、家へ帰りなさい」と忠告する人多し。
私の方は、ゆっくりしたスピードで道路の右端を走って
いたので特に問題はない。
交通事故についてどちらに責任があるかは、お互いの
話し合いが必要。私は交通ルールを守り低速で走っていた。
3人の警察官は酔っ払って何も見ないで私の電動バイクに
突然ぶつかってきた。
結局、交通事故の相手の3人の警察官(制服を着ていた)
はにげてしまった。ということは、自らに非があることを
自己暴露しているようなものである。
回りの見物客は「相手は警察官だ。文句を言ってもしかたがない。
帰りなさい」と何人もの人が来て「善意」の忠告をする。
私はこうした時こそ、横暴な警察、独裁権力の手先と
なって庶民をいじめている警察権力に痛打を与えたいという
気持ちがムラムラと沸いてきた。
直ぐにバオミンさんに電話。警察署長に連絡して欲しいと。
交通事故のあった場所は、フエ省警察の正門前。
バオミンさんは、フエ省警察消防本部長(この建物の最高責任者)
に電話。10分後にバオミンさんが、15分後に本部長が来る。
既に午後10時を過ぎている。
回りには、多数の見物客がいる。
消防警察本部長は一度消防警察本部建物に入る。
しばらくして逃げた三人を連行してくる。
3人が私に謝罪する。私は謝罪を受け入れる。
多くの一般庶民の見ている中で3人の警察官は
私に謝罪をした。彼らは自分たちに非があることを承知して
いたので逃走したのである。
ベトナムの一般の見物者は一外国人がフエ県消防警察本部長を
夜中の10時に呼び出すことなどできないとたかを括っていた。
しかし実際には、本部長(フエ県消防警察署の最高責任者)が
やってきて、問題を処理し、3人の警察官は私に謝罪した。
フエ省消防警察本部長は私のことを良く知っている。
悲しいことである。3人の警官はにげる必要はなく、
私と話し合えばよかったのだ。また、居酒屋の女将や
飲み屋で飲んでいたベトナム人は「外国人だから警察に
何を言っても通じる訳がない。適当に
扱って帰してしまえばよい」とこれもたかを括っていた。
私はこうしたやり方が大嫌いだ。
結局、「ハイリーホテル」へ帰ったのは11時。
バオミンさんが心配して「ハイリーホテル」まで送ってくれた。
バオミンさんに感謝。
体中が打撲で痛い。左手ひじにかなりの出血。
左肩がかなり痛い。
消毒し化膿止めを塗る。
2010年03月07日
地球の歩き方スタディーツアー3班「子どもの家」交流
快晴
今日は日曜日。「ハイリーホテル」では朝食がない。
午前8時過ぎ、朝食を摂らず「子どもの家」へ。
地球の歩き方3班が「子どもの家」で交流。
ベトナムの伝統的な遊びをこどもたちと行う。
体に風船をつけて割りあう遊び
風船競技の後、「綱引き」。日越に分かれ寮母さんも入っての
大綱引き大会となった。
その後、こどもたちと交流
午前中の交流を終わり、一度ホテルへ戻る。
私は朝食を摂っていなかったので途中で「フォー」
を食べる。先日まで2万ドンだったが今日は2万2千ドンに
値上がりしていた。ベトナムのインフレは急速に進んでいる。
午後12時過ぎから1時間昼寝。
午後2時、地球の歩き方3班の泊まっているホテルへ。
ソン君がシクロで「子どもの家」へ行くにあたっての諸注意を
行う。
ベトナム事務所のアンさんも参加。
シクロで「子どもの家」まで20分。
「子どもの家」へ到着
午後2時半「子どもの家」へ到着。到着後、音楽室で
こどもたちに「幸せなら手をたたこう」の歌を教え、
一緒に歌う。
皆で「幸せなら手をたたこう」を歌う
歌の交流会を終え、砂絵つくりを行う。
添乗員さんとベトナム事務所員のM君
午後5時、「子どもの家」で夕食。
午後6時、ホテルへ帰る。その後、自由行動。
私は添乗員さんと今後のスタディーツアーについて食事を
しながら協議。午後9時まで。
2010年03月06日
地球の歩き方3班講演会等
快晴
気温35度
午前7時朝食。
朝食後、船上生活者の医療支援をしている「オアシスの会」
の大塚さんは、新たな支援場所に医療センター所長と
一緒に行く。
午前7時半、ベトナム事務所へ。会場整理。
午前8時、地球の歩き方3班の皆さんがベトナム事務所へ。
ベトナム事務所員紹介。
原田先生の司会でベトナム事務所紹介が始まる。
ベトナム事務所員の自己紹介
ピースインツアーの添乗員さんとソン君。
23人のスタディーツアー参加者
5日間のフエでの生活上の諸注意を原田先生が話す。
飲み水、帽子着用、訪問先の人たちとの交流とその後の
連絡の件・・・・。
午前8時半過ぎ、バスで「子どもの家」へ。
「子どもの家」ではセン運営委員長の歓迎の言葉
その後、ソン君が23人のスタディーツアー参加者に
「子どもの家」の諸施設の案内を行う。
スタディーツアー「子どもの家」訪問・交流の添乗とお世話を
している添乗員さんとベトナム事務所のM君。
午前9時から1時間半、講演会を行う。
①ベトナムに来た経過
②17年間の体験から出た海外支援・国際支援論
③人生は人との出会い
午前10時半から「子どもの家」と文化交流。
はじめにセン運営委員長の挨拶
「子どもの家」のこどもたちの出し物
日本側の出し物
午後11時過ぎ文化交流会を終わる。
昼食会場のレストランへ。
私は「ワンタンメン」を頼む。
スタディーツアーの皆さんは「かたヤキソバ」。
ベトナム事務所スタッフはそれぞれの好みの昼食を
注文する
午後12時半、「ハイリーホテル」へ戻る。
1時間ほど昼寝。
その後、ベトナム事務所で諸会議。
この間、バオミンさんがマルタカ社長さんを
刺繍工場へ案内。今回マルタカ社長さんのフエ訪問の
目的は刺繍工場の視察。今日は1日、バオミンさんが
案内して刺繍工場の視察。
午後5時過ぎ、マルタカ社長さんたちがフエ空港へ。
私とバオミンさんで見送り。