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2010年01月31日

2月の「現地報告会」報告書原案作り

快晴  気温26度 湿度 65%

午前5時目覚める。読書「青年の環(二)」(野間宏著)
人間の微妙な心理描写を的確に描いている。
角川春樹の数倍の説得力と人間観察力がある。

昨日の火炎樹日記を書く。

午前7時、再び寝る。
午前10時起床。

昨夜洗濯機に入れておいた洗濯物を出す。


午前10時半、ブランチ。うどん(百グラム)を茹でてそばつゆ
で食べる。

部屋の掃除。

メールの受信・送信。

2月21日の「現地報告会」の報告文書の骨子を書く。


午後12時から1時間ほど昼寝。

先週1週間は本当に忙しかった。様々な取り組みがあり
気の緩む暇がないほどだった。精神的にも肉体的に疲れた。
今日は1日ゆっくりとしたいところだが、2月1日からまた忙しく
なる。
静岡市長一行70人への応対、北海道芸術高校スタディーツアー
の案内、その他の仕事が目白押し。

午後3時頃、税田さんから電話。10数年前にベトナム事務所
にいた元秋君がベトナム事務所に来ているとのこと。
電話で話す。明日、午前9時にベトナム事務所に来てもらう
こととする。久しぶりに聞く元秋君の声だった。元気そうだった。

引き続き、2009年の活動報告を書く。

午後4時、床屋へ。前回まで2万ドン(100円)だったの
だが、今日は2万5千ドン(125円)。25%の値上げ。
ベトナムの超インフレ・物価上昇の現実である。

午後5時、2010年の活動方針を考える。

明日、午前中、バオミンさんと静岡ツアーの準備。
午後、バオミンさん・税田さん・ハンさんで
「現地報告会」の打ち合わせをする件をメールする。

午後6時半、「ベトナム風ほか弁」(100円)を買いに行く。
午後6時45分「ハイリーホテル」に戻る。
午後9時まで「現地報告会」の報告文書作り。
午後9時過ぎ、軽くビールを飲みながら火炎樹日記を
書く。ベトナム風ほか弁、半分以上残す。量が多く食べられない。

読書「青年の環」。本当に引き込まれ面白い本である。
興味のある方は一読の価値ありである。

「ハイリーホテル」のまわりには、飲み屋が沢山できた。
ベトナムの上層階級の景気は良い。
今日も午後4時位から沢山の若者や「お偉いさん」たちが
「ハイリーホテル」のまわりの飲み屋に繰り込み、大騒ぎを
して飲んだくれていた。戦争がないということは確かに
人間の幸せだと実感した。人間はあまり「幸せすぎる」と
「馬鹿」になる。特権で適当に仕事をして、高級料理と
宴会に明け暮れている人々のお腹は「完全太鼓腹」である。

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1月29日、鳩山首相が参院本会議で施政方針演説を行った。

その中でインドの「マハトマ・ガンジー」が言ったと言う
7つの社会的罪~Seven Social Sinsの一つ
「労働なき富」はいけないという趣旨の演説をしたそうだ。

議場からは「それはお前だろう」との野次が飛んだという。
確かに毎月、母親から1500万円の「子ども手当て」を
働かずにもらっている人間の言う言葉ではない。

鳩山首相が施政方針演説で言うのであれば
・理念なき政治は許せない。
 「自分がそうだから」
 とか
・道徳なき商業は許せない。 
 「日本の大企業の投機的金儲け体質はいけない」
  とか
・人間性なき科学   
 「現代科学がコピー人間を作り、
 原爆水爆・ウラン弾など底知れぬ殺人兵器を「平気」で
 作っている。」

 こんなことを言ったほうが良かったのではないかと
 進言したい。

閣議か何かの場で誰か、鳩山首相に進言する人物は
いなかったのだろうか? これほど間抜けな、漫画的
施政方針演説はない。

1.理念なき政治 Politics without Principles
2.労働なき富 Wealth without Work
3.良心なき快楽 Pleasure without Conscience
4.人格なき学識 Knowledge without Character
5.道徳なき商業 Commerece without Morality
6.人間性なき科学 Science without Humanity
7.献身なき信仰  Worship without Sacrifice
(7つの社会的罪~Seven Social Sins~マハトマ・ガンジー)

投稿者 koyama : 19:08 | コメント (0)

2010年01月30日

ベトナム事務所員会議:日本料理店会議

1月25日に「子どもの家」で紙芝居を行ってくれた
北海道北広島市の小松直之様のお母様が
日本料理店に手作りの人形がついた「箸」を寄付してくれた。
90歳近いお年とのこと。細かいところまで気を配った
素晴らしい手作りの箸袋。お客さんに出すのももったいない
ような芸術作品である。
小松様のお母様にこのブログ上で感謝申し上げたい。
そして、いつまでも長生きされるよう祈っている。


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快晴  澄み渡る青空  快適な気温(23度)
久しぶりに「気候は」気分よく過ごすことができた。

午前4時起床。昨日のフエ市人民委員会との
協定書調印式の火炎樹日記を書く。2時間かかる。

午前7時朝食。

午前8時、ベトナム事務所へ。

午前8時半ベトナム事務所員会議


議題は各自の1週間の活動報告、2月2日から来訪する
静岡市長をはじめとする70人のつあーの受け入れ体勢、
2月1日から来訪する北海道芸術高校スタディーツアーの
受け入れ態勢、2月末から4月中旬まで続くスタディーツアー
の受け入れ日程・・・・。


はじめに私から静岡市長・島田市長一行70人のツアーを
受け入れる意義について話す。

(ソン)「アクセサリー研修センター」の今回分の仕事が終わった。
    こどもたち・スタッフに給料を渡す
    2010年スタディーツアーの車・舟・シクロなどの予約をした。

(原田)フエ高等師範大学2年生の授業・41課
    3年生は2クラスを1クラス(50人)に編成変えし、
    会話や敬語などを重点的に教えた。
    特進クラスを教えた。16課
    初級クラスを教える。
    フエ高等師範大学日本語学科は2月7日から21日
    までテト休み

(フオン)特進クラス 1週間1回の授業を担当(聞き取り・読解)
     日本語がうまくなった生徒となかなか難しい生徒がいる
     初級クラス 1週間2回担当 ひらがなが終わる
             来週は復習の予定

(フーン)特進クラス 1週間2回(会話中心に教えている)
             文型・動詞の活用が難しい


(アン)函館の会の賞状作り(ベトナム語への翻訳)
    来週の火曜日は「子どもの家」のフエさんの誕生日。
    写真を撮りに行く予定
    2010年春のスタディーツアーの諸準備
    小山・ミンさんと仕事打ち合わせに同行する

(ハン)ベトナム事務所の皆さんの協力のお陰で無事 
    静岡市での日本語研修を終えることができた。
    静岡市での日本語研修で学んだことを
    静岡フエ青年交流会館付属日本語学校事務局長の
    仕事に生かして行きたい。
    税田さんと奨学生名簿の作成
    春のスタディーツアーのホテル、訪問先等の予約

(税田)奨学生名簿作成
     日本人関係者への手紙の最終チェック
     日本料理店下水排水工事のチェック
     「アクセサリー研修センター」製品発送準備 
     「子どもの家」のこどもたちの写真を撮った

(クアン) ハノイ教育会議内容の翻訳
      「おむすびころりん」の紙芝居のベトナム語訳
      特進クラス第16課終了

(ミン)  日本からの仕事の下準備のため4日間を
      小山先生とアンさんと過ごす
      静岡市長等来訪の最終準備と確認
      2月7日から21日(14日テト正月元日)までの
      「子どもの家」テト休みには、3分の2のこどもたち
      が親戚などへ帰る。3分の1のこどもたちは帰る
      場所がない。「子どもの家」で正月を過ごす。
      こどもたちにお年玉を上げる。帰る家のない
      こどもたちが寂しい思いをしないよう、「子どもの家」
      でもきちんとした「お正月」の料理や行事などを行う。
      以上の点について、「子どもの家」運営委員長の  
      センさんと打ち合わせをした。

       ベトナム事務所員の皆さんに翻訳を頼んでいるが、
      いつまでに翻訳ができるかなど自分でしっかりと
      翻訳計画を立てて翻訳をして欲しい。

      2月7日からテト正月に入る。
      その前にベトナム事務所・日本語学校・日本語学校
      「縫製研修センター」などの大掃除をして欲しい。

かなり長時間のベトナム事務所員会議となる。


午前11時、「ハイリーホテル」へ戻る。

朝食と昼食を作ってくれるセンさんが昼食の準備中

今日は一人での昼食となる。(途中で原田先生帰宅)

昼食後「ハイリーホテル」の5階から外を見る。
「ハイリーホテル」前のお墓を壊し建築中の裁判所。
基礎工事が終わり、建物の建築が始まっている。
外は雲ひとつない澄み切った青空。

午後12時から2時間ほど昼寝。朝4時に起きて火炎樹日記
を書いたのでさすがに眠たい。

午後3時、多数の受信メールを読み、必要な返信(1時間半)

午後4時半、日本料理店へ。
今年最後の(旧正月)の日本料理店員会議を行う。

日本料理店で働いた1年間の各自の感想・総括を発表する。

大塚さんからもいくつかの意見発表があった。
1年間、こどもたちの頑張った点・進展した点などの評価する面
があったこと、同時にまだ克服すべき課題があること、特に
調理をする際に守るべき点が時々守れないことなどの指摘が
あった。来年(旧正月2月14日)からは、日本料理店の
制服を新たに作りたい。もっとシャレたものにしたい。
来年も頑張って仕事をして欲しい。

私からも一言。1年間の日本料理店での仕事を評価する。
同時にリー君の賭博問題、勤務中隣りの精進料理屋に
行ってしまい、勤務を放棄する問題、悪い連中と
付き合っている問題をこどもたちの前で明らかにし
皆の力で、リー君がきちんと日本料理店の仕事に
邁進するよう話す。

2月5日に日本料理店の大掃除をすることをこどもたちと
話し合う。

今回から日本料理店も「テト・ボーナス」1ヶ月分を支給する
ことにする。(2月は2ヶ月分の給料をもらうことになる)

午後5時半、日本料理店で夕食

午後9時までに13人の来客あり。

埼玉からこられた日本人の方と懇談。ベトナム旅行だとの
こと。南から北へ旅行中という。「子どもの家」のことなどを
説明する。たくさんの日本料理を注文してくれる。
深謝。

午後9時過ぎ、日本料理店閉店。原田君と二人で「ハイリーホテル」
へ帰る。

途中、夜空には「満月」が煌々と宵闇に金の光を放っていた。
何故か池袋に住んでいた頃見たお月様を思い出す。
池袋の文成小学校に通っていた頃のいくつかの思い出の場面が
頭をよぎる。朝何を食べたか、人の名前などは直ぐに忘れてしまう
のに、50年以上前の小学校2年生位の出来事を思い出すのは
老化現象の象徴か、はたまた頭が鮮明で鋭敏なため
なのだろうか? 前者であることは明白だ。

今日は様々なことがあった。疲れた。「ハイリーホテル」に
着いたら直ぐに就寝。

ベッドに入り、何故リー君はまたしても自転車を質屋に
入れてしまったのか?などと頭の中に疑問が巡る。
明日は父親の家へ行くとのこと。質屋に入れた自転車代
は何に使ったのか? 色々考えているうち眠りに就く。

投稿者 koyama : 08:07 | コメント (0)

2010年01月29日

フエ市人民委員会・JASS活動拡充延長協定調印式

久しぶりに晴天

10日ぶりに青空を見る。気分爽快。

午前7時朝食

朝食後、ベトナム事務所へ。1階の日本料理店の排水が
故障。数日前から水が溢れ出している。業者を呼んで
修理。

タイルを剥がし修理工事を行う。


大塚さんを先頭に日本料理店のこどもたちも全員集まり、
排水工事のための荷物の移動などを行う。
大塚さんやこどもたちに感謝。

リー君は、排水工事と平行して「テト正月」のための
大掃除を始める。

午前8時半。ベトナム事務所員全員がフエ市人民委員会
へ結集。


今日は、フエ市人民委員会とJASSの間で2020年までの
活動を協力して進めるための新たな協定書の調印式。
調印式はフエ市人民委員会2階の大会議室で行われた。

(協定書原文は、続きを読むをクリック)


●ベトナム側出席者

ユンフエ市共産党委員長・ヴィンフエ市人民委員会主席(市長)
ユンフエ市警察副署長・マンフエ市人民委員会官房長官
ニエンフエ市人民委員会外務部長・フアンフエ市人民委員会
外務部副部長が出席


●日本側はJASSベトナム事務所員全員とセン「子どもの家」
 運営委員長


協定書調印式はニエン外務部長の司会で始まる

●はじめにフエ市人民委員会主席(フエ市長)のヴィン氏の
 挨拶

挨拶の概要

JASSとフエ市人民委員会との協力は16年にわたる。
JASSは様々な分野で活動を推進した。ストリートチルドレン
船上生活者支援・障害児支援などなど。
先日、ハノイの日本大使館へ行き大使と会談した。
その際、JASSへの支援をお願いしてきた。
今後も更に協力を強化していきたい。
フエ市人民委員会側は全力でこの協定書を守っていく。
16年にわたるJASSの長い協力に感謝し、今後
引き続き2020年までの10年間、ともに活動を
進めて行きたい。



●続いてJASSを代表して私が挨拶を行った。


本日は、ユンフエ市共産党委員長様・ビンフエ市人民委員会主席様をはじめ
多くの方のお越しの中で、フエ市人民委員会とJASSとの間で活動拡充協定が結ばれることを心から感謝しております。

私がベトナムと関係をもったのは、1963年です。高校1年生の時に東京で行われた「ベトナム戦争反対」「アメリカはベトナムから出て行け」という集会に参加し、デモ行進をした時からです。そして、1993年9月1日に私はフエにやってきました。それから17年もの歳月がながれました。

ストリートチルドレン支援、障害児支援、各種職業訓練などの活動を今日まで続けることができたのは、フエ市民の皆様をはじめ、フエ市共産党・フエ市人民委員会の皆様方のサポートがあったればこそと感謝の気持ちで一杯です。

本日、2020年までの活動拡充延長の協定書の調印をすることができ、
JASSは引き続き、生活困難なこどもたちや障害児、職業訓練、日本からの投資の招請などフエ市と日本との友好交流の活動を一層進めて行きたいと決意しております。

最後になりましたが、もうじきテト正月です。ユン共産党委員長・ヴィンフエ市人民委員会主席をはじめ、ご参会の皆様方のご健康とご多幸をお祈り致します。

2010年1月29日
ベトナムの「子どもの家」を支える会
代表  小山道夫


フエ市長の日本語通訳はフエ市人民委員会外務部副部長の
フアン氏。JASS側はJASSベトナム運営委員長のバオミンさん。
二人とも私が1993年9月1日にフエに渡航し、フエ師範大学
日本語クラスで日本語を教えた第1期生。
こうしてJASSに取っては、歴史的な協定書の調印式の
ベトナム側と日本側の通訳を私の教え子が行うことは
16年の歳月という長い時間が必要であり、感無量である。

ベトナムのテレビ局・地元トゥア・ティエン・フエ新聞の取材も
あった。

続いて、協定書調印式

ヴィンフエ市長と私が協定書に署名。


後ろでフエ市共産党委員長のユン氏が後見人として
協定書の署名を確認。この意味は大きい。
ベトナムでは、最高権力は共産党の掌中にある。
フエ市の権力のトップは共産党委員長である。
共産党委員長がフエ市人民委員会とJASSの
協定書調印を確認したことは、今後、フエ市共産党も
JASSとフエ市との協定書に責任を持つと言うことを
内外に明らかにしたことになる。同時にフエ市共産党
として、JASSに対する協力共同を今後10年間に
わたり行うことを示したのである。JASSに対する
一部勢力の不当な攻撃に対しては、フエ市共産党・
フエ市人民委員会・フエ市警察が共同して「排除」
していくことを公式に明らかにした調印式でもある。

参加者全員で調印を記念して写真撮影

●セン「子どもの家」運営委員長もJASS側の一員として参加

調印式を終え、フエ市人民委員会正門前でJASSスタッフ
全員(10人)とセン「子どもの家」運営委員長で記念撮影


調印式を無事終了し、ベトナム事務所近くの喫茶店で
今日の調印式の反省、今後のベトナム事務所の運営
などについて話し合う。

昼前、「ハイリーホテル」へ戻り休息。

午後5時、日本料理店で「じゃぶじゃぶ大会」。
今日は日本料理店の排水工事のため、日本料理店を
開店することはできない。
大塚さんのアイディアでフエの美味しい牛肉・豚肉などを
買って来て、日本料理店のこどもたちに「じゃぶじゃぶ」を
教えようということになった。


新鮮で脂の乗った豚肉、更に刺身でも食べられる牛肉。

最後に「仕上げ用」の「うどん」

フエ特産のイカ

豊富な野菜類

肉類はほんの10秒ほど鍋につけるだけで柔らかく美味しい


なかなか良い雰囲気の二人

小学校1年生の入学式に父親として私が付いて行った
ヒエウさんと税田さん

調理在庫主任のチャンさんと大塚さん

副店長兼調理主任のトゥオイさん

午後8時。ベトナムテレビの全国放送で今日の
協定書調印式が放送された。
ベトナムでは、午後8時前後から1時間ほどは、
全てのチャンネルでベトナム中央放送局の
ニュースなどが流れる。チャンネルを選択することは
できない。
ベトナム中央放送で放映されたということは、
たった一つしかない番組なので、ベトナムの全国の
人が見た(見せられた)ということになる。
午後8時。丁度、夕食後の時間帯である。
番組視聴率は、最高である。

こうして長い1日は終わった。

フエ市の共産党・行政・警察のトップが参加しての
協定書調印式を行うまでには、様々な問題があったが、
JASSベトナム運営委員長のバオミンさんやニエン外務部長、
フアン外務部副部長などの見えない努力があったことを
付記しておきたい。

今回の協定書の意義はJASSに取っては大きなものである。
ベトナムでは、NGOとの協定書などは一般的にはない。
NGO担当部署の係りが「決定書」を一方的にNGOに
交付するだけである。
フエ市共産党委員長や市長、フエ市警察最高幹部などが
わざわざ出席しての「協定書調印式」などは行われない。
この16年間、JASSの会員、日本全国の支援者の皆さんの
営々とした努力の結晶がこうした特別の調印式という形と
して結実したのである。NGOとベトナム行政当局との
「協定書」締結なども一般的にはない。
今後10年間もの長い間、JASSの活動を保証する
ことの意義も大きい。
今後10年たつと私は何歳になっているのか全く見当が
つかないが、私がいなくなってもバオミンさんを中心に
ベトナム事務所員が団結して、「子どもの家」や障害児、
生活困難なこどもたちを守っていく活動が、続けられることを
心から願っている。

フエ市人民委員会とベトナムの「子どもの家」を支える会(JASS)
――文化・社会・経済に関する協力協定――

①今日までの実績
1994年4月から今日まで、15年が経過した。フエ市人民委員会とJASSは協力して、以下の領域で大きな成果を収めたことを確認する。

●フエ市民と日本人(JASS会員等)の相互の友好交流。。
●JASSは教育、医療、社会への支援活動を実施した。、職業訓練の実施。、障害
  児や生活困難な家庭の子弟への援助、奨学金の贈呈、、学校の建築。
●フエ市に日越交流委員会付属の「子どもの家」(グエン・チャイ通り37)、職業訓練センター、
日越青年  交流会館(日越文化交流センター)を設立した。
●経済開発分野での交流プログラムの実施、観光の発展、日越青年の文化交流、フエ市民
への日本語教育の実施
●フエ市(ベトナム)と静岡市(日本)の友好関係の確立。2005年、静岡市でフエ市と静岡市
の友好都市提携調印式が行われた。。またフエ市は京都市とも友好関係を結び、
「歴史都市連盟」(LHC)との協力体制を強化した。
●フエ市人民委員会とフエ市民は、15年間のJASSの実績を高く評価する。JASS
 はベトナム外務省とフエ省人民委員会よりその活動を評価され表彰を受けた。
またJASS代表、小山道 夫はフエ市人民委員会より「名誉市民」賞を、
ベトナム社会主義共和国大統領より「友好勲章」を授与 された。

 これら15年間の活動の成果は、日本とベトナム相互の協力関係を強化した。
フエ市人民委員会とJASSは教育・文化・社会・、経済の分野で今後、
更なる協力体制を強化するため、新たな覚書の調印に同意した。

② 両者の協力内容:

 2.1 JASSは「子どもの家」(グエン・チャイ通り37)、職業訓練センター、
日越青年交流会館日本語学校への支援を継続する。
 2.2 日本と日越青年交流会館(日越文化交流センター)の間で、
文化と芸術活動などのを文化交流     活動を推進する。
2.3 JASSは静岡大学と協力して、フエ市の優秀な学生が日本に留学
できるよう諸条件の整備を行う。また静岡市役所と協力して、
日本で行政管理と都市管理の研修、日本語の実地研修等を行う。
2.4 JASSはフエ市人民委員会と協力して、2012年に「歴史都市連盟」の
第12回会議がフエ市で行われるよう協力する。
2.5 JASSはフエ市人民委員会と協力して、フエ市の経済開発のための
プログラムに協力する。フエ市に日本の投資家を紹介したり、
観光の発展を促進したり、フエから日本へ研修生を派遣する活動などを行う。

3.運営:
  3.1 フエ市人民委員会とJASSは公的機関として、双方で協力し
活動を進める。
  3.2 フエ市人民委員会のもとで、日越青年交流会館所長は責任を持ち、
JASSと協力して、この覚書の内容を遂行する。
  3.3 フエ市国際交流センター(旧フエ市人民委員会外務部)は責任を持ち、
フエ市と日本の協力体制を確立し、この覚書の活動推進を監督する。
  3.4 相互に協力関係を尊重する。。双方の意見が異なった場合には、
十分協議し一致点を見出し共同行動をとる。フエ市人民委員会と
JASSは最終決議機関である。
  3.5 フエ市人民委員会は覚書の内容の実現のため、付属機関への指導
などの条件を整え、活動が遂行されるようにする。

4.実効期間:
この協定は、2010年1月1日から2020年12月31日まで、10年間有効である。
この協定はフエ市で2010年1月1日に作成された。

JASS代表
MICHIO KOYAMA              フエ市人民委員会市長
                           PHAN TRONG VINH

投稿者 koyama : 06:10 | コメント (0)

2010年01月28日

現地報告会の議案起案

終日曇り 小雨

午前6時起床。

午前7時朝食。スープマカロニ

投稿者 koyama : 11:00 | コメント (0)

現地報告会の議案起案

終日曇り 

午前6時起床。

午前7時朝食。スープマカロニ

午前9時、静岡大滝下さんからSKYPEで連絡。30分ほど
話し合う。

2010年2月21日、東京での現地報告会の2009年
総括案、2010年方針案の骨子を考える。

多数の受信メールへの返信。

バオミンさんと何度か電話で意思統一。

午前11時半、昼食

午後12時半から1時間昼寝。
その後読書。「青年の環(二)」。

午後3時ベトナム事務所へ。

静岡朝日テレビから取材の電話。

午後3時半、バオミンさん・ハンさん・アンさんと
私の4人で意思統一、打ち合わせ。

午後5時半、日本料理店夕食。

台湾からの来客あり。何か文句をつけている。
リー君が対応できず、私が出る。サーモンだけの刺身が
美味しくない。なす焼きがまずいという。
私は「ああ、そうですか」と答える。
貴方は何をしている人ですか?と私が聞く。
台湾からアメリカに行ったが、今はハノイでストリートチルドレン
の支援をしているとのこと。
私たちの日本料理店のメニューと値段を書き始める。

しばらくすると、台湾人の中年の女性は「まずい」と言って
帰ってしまう。リー君が急いで私のところに来る。
45000ドン(220円)を支払って帰っていったと言う。
料金は160万ドン(800円)食い逃げ犯。
私はリー君に「45000ドンを台湾の女性を追っかけていって
渡しなさい」と言う。リー君は駆け出して台湾女性に渡す。
結局にこの台湾女性は、何だかんだんと言って、800円
の支払いを勝手に「まずいから」と称して支払わず
帰っていった「食い逃げ犯人」である。彼女がどれだけ
日本料理の味をしっているのか?
少なくとも私や税田さん・大塚さんがサーモンを食べたが、
刺身としてのサーモンの多少生臭い味は、刺身の特徴。
なす焼きがまずいなど、到底この台湾の女性は味が
分からない。
税田さん(京都)、大塚さん・私(東京)の3人の日本人が
食べて、本当に日本料理と自信を持っていえる料理である。
多分、この台湾女性は、日本人以外の人たちが作った
「まがい物の日本料理」を食べて、その味を美味しいと
思っている類の人間。本当の日本料理店を食べて、
「まがいものの日本料理店」と味が違うので「まずい」
と感じたのだろう。無知とは怖いものである。
その上、勝手に800円の支払いを220円しか払わず
帰って行ったこの台湾女性の精神構造が理解できない。
私は全額を「つき返して」やった。結果的には
この台湾女性は「無銭飲食」の犯罪者となった。
私は、お金ではない。本当に日本料理を知らないで
「まずいなどと言う」無知な人間からお金を取る気持ちは
ないのである。乞食根性の台湾女性には、全額を
叩きつけてやった。台湾の人が全てそうだとは思っていない。
この女性が異常なのだ。
時々、この種の日本料理店を何も知らない「半可通」の
人間が来て「ごたく」を並べることがある。
同時に「半可通」の日本人が来て、怪しい薀蓄(うんちく)を語ることも
ある。知ったかぶりは、人間の一番の恥。
この種の人間は、フエにある「ニセモノ日本料理店」に行けば
「美味しい」と感じ、満足するのかも知れない。
何ならその種の「まがいものの日本料理店」を紹介しても
よい。
私たちは普通の日本の家庭料理を提供している。
これがまずいということになると、日本料理そのものが
分からない人間ということを証明することになる。
又、自分がまずいと思ったら、支払いをしないで
帰ってしまうということを実行する人間の心理が理解できない。

午後9時過ぎ、閉店。来客かなりある。

投稿者 koyama : 11:00 | コメント (0)

現地報告会の議案起案

終日曇り 小雨

午前6時起床。

午前7時朝食。スープマカロニ

投稿者 koyama : 11:00 | コメント (0)

2010年01月27日

フエ訪問者日本帰国

午前中小雨  途中太陽が顔を出すが終日曇り

午前2時半目が覚める。何故か精神が昂ぶって眠れない。
読書「青年の環(二)」(野間宏著)

午前6時、血圧測定。体重計測(毎日のルーティーン)
この数週間、血圧が相当高い。今までの降圧剤では
効かないことが分かる。

午前7時朝食。キャッザバ芋のうどん


午前7時45分、車が「ハイリーホテル」まで迎えに来てくれる。
フォンザンホテルへ。JASS支援者ご家族5人の来訪者の
方々とみやげ物店めぐり。

午前11時。支援者ご家族の皆さんと一緒に「子どもの家」で
昼食。4歳・6歳・8歳のお子さん。

運動能力があり、なかなか賢いお子さんたちである。

午後3時から船でティエンムー寺へ。

午後4時半。30分ほど時間が空く。
リー君を呼んでいくつかの注意をする。

先週の1月20日。給料を渡す際に「ギャンブル」や
「自転車の質入」、「近所の評判の悪い連中との付き合い」など
につい手厳しく注意をした。

しかし、24日の日曜日。夜、日本の支援者をフエ空港から
ホテルへ案内。その途中、ベトナム事務所の近くを通った際、
リー君が日本料理店まえのカバン屋の喫茶店の見えない場所で
賭博(トランプ)をやっている現場を目撃。左手に数十枚の
札束を握っていた。私がお客さんの車を降りるとカバン屋の
店員がリー君「先生が来たぞ」と教える。この声が
私の耳に入る。ということは、日本料理店の前のカバン屋
経営の喫茶店もリー君とグルになり、賭博行為をしている
ことになる。リー君は慌てて家の中に逃げようとしたが、
お菓子のケースの隙間から私は、6人ほどの男が
トランプ賭博をしている現場を目撃してしまった。

今日、リー君を呼んで、「トランプ賭博」の事実を聞く。

実行したことを認める。
先週、賭博とこの付近にいる「怪しい連中」との付き合いは
止める様に注意したはずだ、どう思っている?と聞く。

「今度、賭博をしたら日本料理店を解雇してもいい」との
返事。私は怒る。私はリー君を日本料理店から辞めさせると
脅す気持ちはない。立派な人間になって欲しい、これから
日本料理店で店長になれるように「悪の道に手を出さず」
「真面目に育って欲しい」という気持ちから注意しているのだ。
リー君を日本料理店から辞めさせると言う話ではない。
「何故、注意したばかりの賭博と悪い人間たちとの
つながりを切れないのか?」を聞いているのだ。
リー君の回答。
「賭博仲間に誘われ、断れず、また、好きで楽しいので
賭博をした」との返事。

「今後もそうした誘惑はある。今後したら日本料理店を
辞めさせても良いなどと簡単なことを言わず、
何故、いけないことをするのか、そうしたリー君自身を
見つめなおし、今後二度としないようにするためには
どうしたら良いのかを考えて欲しいというのが今日呼んだ
一番の理由だ」。

その後、かなりの話し合いあがり、以下のことを確認。
①今後、どんなことがあっても賭博行為は一切しない。
②日本料理店近所の「悪い仲間」との付き合いは一切しない。

午後5時過ぎ、フォンザンホテルへ。日本の支援者家族の
皆さんと「チャオバンカン」(待つ店)へ。

チャオバンカンを4杯も食べた子どももいた。


チャオバンカンの店から車でフエ空港へ。

午後6時過ぎ、フエ空港着。チェックイン手続き。


無事の帰国を祈る。

投稿者 koyama : 21:15 | コメント (0)

2010年01月26日

フエ訪問者とフエ市内を巡る(2)

終日雨  寒い

午前7時朝食

午前8時半、フォンザンホテルへ。
フエ訪問者のご家族とフエ市内視察。

午前11時半、チャーハン専門店「ヒエップロイ」で
目玉焼き乗りチャーハンを食べる。

午後3時、市内のみやげ物店で買い物。多数。

午後4時半、「子どもの家」へ。「子どもの家」のこどもたちに
日本から大量のお菓子の寄贈。

午後5時半、日本料理店で夕食。

午後8時、夕食終了。ホテルへ帰宅。


その後、「ハイリーホテル」へ帰り、メール受信の調査。
必要な送信。

忙しい1日だった。

平野博文官房長官が沖縄県名護市長選の結果が、
米軍普天間基地「移設」先の検討に与える影響について、
「(結果を)斟酌(しんしゃく)してやらなければならない理由はない」
と述べた。
この官房長官は「小役人」そのもの。
とにかく地元の選挙で「普天間移転反対派市長が当選した」
ことの意味は大きい。
その結果を「事実上無視する」というような趣旨の発言を
するのは、政治家としては、あまりに政治を知らなすぎる。
鳩山首相は「名護市長選挙の結果を見ながら最終決定する」と
明言していたのである。首相が名護市長選挙の結果を
判断材料にすると言っているのに子分の官房長官が斟酌しない
といっている。

広辞苑では「斟酌(しんしゃく)」とは
①相手の事情・心状などを汲み取ること。またそれによって
  手加減すること
②条件などを考え合わせて取捨選択すること
3言動などを控えめにすること。遠慮すること

ということで、平野官房長官は沖縄名護市長選挙結果は
「相手の事情を汲み取らない」「それによって手加減しない」
等の理由で事実上「無視する」といってるのである。
首相は、名護市長選挙の結果も考慮して「移転問題は
結論を出す」と明言していた。

民主党は地方自治を尊重すると言っていた。
しかし、いざとなったら、首相が言った言葉も「秘書」の
官房長官が否定し、地方自治・地元の意思も「斟酌しない」と
官房長官は言ってしまった。どうなっているのか民主党。
最大野党の自民党はこの点を厳しく追及すべきである。
「言行不一致」と。しかし、今、悲しいかな自民党にその
力はない。

民主党と連立を組んでいる社民党も結局「グチャグチャ」
意見は言うが、連立を離れてまでこの問題で抵抗抗戦する
勇気はない。

結局、日本共産党くらしかこの問題を徹底追求する政党は
ないが、なにしろ衆議院の議席が9議席という「院内交渉団体」
にもなれない弱小泡沫政党である。

日本の政治の現状を憂うる。


投稿者 koyama : 22:15 | コメント (0)

2010年01月25日

フエ来訪家族と各所を巡る

曇り 時々 小雨  寒い

午前6時起床。
午前7時朝食。

青豆のおかゆ

午前8時半、イン君がベトナム事務所に来ているとのことで
急いでベトナム事務所へ行く。
イン君の話をバオミンさんと一緒に聞く。

(イン)

日本料理店でもう一度仕事をしたい。
絵の額縁作りの仕事をしていたが、給料が安いのでやめた。

JASSは私のような困っているこどもたちを助けるのが
仕事だ。最後まで私たちを助ける義務がある。

(小山)
イン君は何故日本料理店を辞めたのか?

(イン)
勝手に勤務中に遊びに行った。
酒を飲んでけんかをし、警察に捜査された。
3回から4回程度は酒でけんかをした。

(バオミン)
イン君は日本料理店を辞めさせられたのか?
自分で辞めたのか?

(イン)
2009年11月に自分で手紙を書いて「日本料理店を辞める」
と言った。理由はもっとお金のなる仕事に行くつもりで。

(小山)
JASSは困ったこどもたちを助ける仕事をしているのは
事実だが、成人(18歳)までの支援が基本だ。
同時に自分の力で自立する努力をしているこどもたちが対象だ。
イン君は既に22歳。自分で勝手に日本料理店を辞めていながら
JASSが困ったこどもたちを助ける義務があるなどと
偉そうなことを言う資格はない。


その後、バオミンさんがインの暴言に厳しく反論を加える。
日本料理店で再度雇ってもらえれば、自分はJASSの
お世話に私たちないといったが、
日本料理店は職業研修センターだ。日本料理店はJASSが
運営しているのだ。日本料理店で働いてJASSのお世話に
ならないなどと言うこと自体が舐めた態度だ。

(小山)
日本料理店での仕事と仕事そのものを舐めた態度でいる
イン君を再度採用することはできない。
自分で勝手に日本料理店に暴言を吐いて辞めたのだから
自分で自分の人生は決めるべきだ。既に22歳になる。
成人した大人が、言う言葉ではないことを連発している。
日本料理店への採用はできない。

博打とお酒にはまり、借金を重ねている。偉そうな態度で
JASSに絶縁状を突きつけ、借金が返せなくなったら
兄のリー君に全ての借金返済をさせている生き方には
同情の余地はない。働くのが嫌いで、いつも人から
お金をもらって生きてきているイン君の「人生を舐めた」
生き方には厳しい姿勢で臨む必要がある。


午後9時半、フエ訪問者のご家族5人がベトナム事務所
来訪。
2時間ほど話し合う。

午前11時半、バオミンさんと一緒にフエの家庭料理の
美味しいお店で昼食。

午後12時半「ハイリーホテル」へ。

30分ほど昼寝。

午後3時、フォンザンホテルへ。ドンバ市場へ。市場の
各所を巡り必要な買い物。

その他・・・・・。

フエ市内のいくつかの専門店を巡る。

午後6時、ホテルへ戻る。

私は日本料理店へ。札幌の鹿又さんの友人である
小松さんと小坂さんが日本料理店に来ている。

午後9時までお二人と交流

お二人は、「子どもの家」で紙芝居をこどもたちに
披露してくれている。

わざわざ札幌からフエに来て頂き、「子どもの家」の
こどもたちに紙芝居を見せてくれるなどの支援に
感謝している。


午後9時過ぎ閉店。
「ハイリーホテル」へ帰る。今日は朝から夜まで休みなしに
活動した。相当疲れる。

昨日、自民党大会が開かれた。
野村元楽天監督が講演をしたという。
美人市議で有名な地方都市の市議も登壇挨拶したという。
相変わらずである。
これでは、新政権発足以来「つまづきっぱなし」の民主党への
健全な反対勢力としての最大野党の役割を果たせない。
野村監督の講演などという他力ではなく、何故54年間の
政権が崩壊し、再起不能な状態になったのかの基本総括
をすべきである。
2世・3世・4世議員ばかりに頼った自民党の体質の総括を
したのか? 党大会の司会が小泉元首相の息子だという
だけで「総括能力」「自浄能力」すら喪失した無能な最大野党
の無力さを感ずる。既にかつての自民党の時代が終わったことを
肝に銘じ、最大野党として、民主党連立政権を追求する
厳しさが欲し。、このままでは、参議院選挙をまえにして
「空中分解」の可能性すらある。「自民党頑張れ」とエールを
送りたい。最大野党がしっかりと政権政党を批判し、権力の
濫用を監視する大事な役割がある。野村監督や美人市議、
小泉息子など、カサプタを剥がす程度の手術ではなく、
長期入院大手術をして「再生」してもらいたい。

ーーー
沖縄名護市長選挙で「米軍普天間飛行場の代替基地を
同市辺野古に受け入れるという案」への反対を掲げた
新顔の稲嶺進氏が当選した。 自民・公明が押した
受け入れ推進市長が落選したことの意義は大きい。

この問題の本質は「日米安保条約」第6条問題である。
つまり、日本全土基地方式。アメリカが日本全土どこでも
基地に使うことを「日米安保第6条」で日本は、約束して
ところに本質がある。

第六条:
 日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリ力合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。
 前記の施設及び区域の使用並びに日本国における合衆国軍隊の地位は、千九百五十二年二月二十八日に東京で署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基づく行政協定(改正を含む)に代わる別個の協定及び合意される他の取極により規律される。


米軍普天間飛行場がだめなら「辺野古」に。「辺野古」が
だめなら他県へ・・・・・。
安保条約第6条で日本は日本国全土を基地として提供する
義務を負っている。

名護市長選挙で「辺野古への移転反対」という民意が出た
以上、鳩山民主党政権は、何らかの対応をせざるを得ない。

しかし、日米安保6条がある限り、鳩山政権の選択肢は
限られている。
また、鳩山政権の日米関係の基本路線、さらに言えば
日本国の基本的な外交路線・外交戦略が定まっていない
ところに大きな弱点がある。
安保条約改定50年の今年である。日本占領下での
占領政策をそのまま引き継いでいる「従属条約」である安保
条約そのものの改定、廃棄などの選択肢も含めての
国民的な論議が必要である。少なくともアメリカが好き勝手に
日本国土に基地を作る自由を認めて「対等な条約」とはいえない。
首都東京に米軍基地のある独立国はない。

安保条約第5条では、アメリカの引き起こした戦争にも
日本は参加する義務を負う。
既にイラク戦争に参戦している。朝日新聞などは
安保改定50年の社説で、戦後一度も「戦争に参加していな日本」
などと書いているが、近代戦争が「ドンパチ」銃撃や砲弾の
飛び交うところだけが戦場ではなく、後方支援、給油、補給、
司令部など総合的な闘いが近代戦争である。
イラクでの米軍の給油は近代戦争の概念で言えば、
明らかに戦争に参加しているのである。

民主党も国民も改めて日米安保改定50周年にあたる
今年、安保条約(短い条約)読み返し、日本の
進路を考える時期にしている。

投稿者 koyama : 08:14 | コメント (0)

2010年01月24日

フエ訪問者来訪ーフエ空港出迎え

終日 小雨

午前6時目覚める。とても寒い。気温20度。

読書「青年の環」(野間宏著:岩波書店)

午前10時まで寝ながら読書。時々熟睡。

午前10時半、昨夜、日本料理店のトゥオイさんに
頼んで買って来てもらった「チャオバンカン」(小麦手打ちうどん)
500グラム(50円)の3分の1を茹でて、卵を落とし、ねぎを
入れて朝食。

昼まで読書「青年の環(一)」読了。900ページ。
全5巻なので1巻を読んで本書の登場人物の輪郭が
分かる。かなりたくさんの登場人物が現れる。
主人公は「矢花正行」(京都大と思われる大学で学生運動
左翼運動を行い、大阪市役所に勤め部落融和運動の担当者)
もう一人の主人口が「大道出泉」。高校か大学で
「矢花正行」を指導し、左翼・人民戦線運動の活動家だったが、
理由は明示されていないが、運動から離れ、かなり虚無的な
生活に入っている。関西財界の大物の御曹司。
この二人を中心に様々な階層の人間が登場。戦争末期の
大阪市を中心とした人間模様。関西の言葉が会話で多いので
これらの言葉になれていないでの読みづらい。

午後12時半から1時間ほど昼寝。
気候の変化か体がだるい。

午後2時から読書「青年の環」。
寒いのでふとんの中で寝ながら読書。

午後3時、帯広のYさんから電話。

バオミンさんに関する書類を5つほど書き上げる。

午後5時過ぎ、「ハイリーホテル」をでてフォンザンホテルへ。
バオミンさんと合流し、フエ空港へ。

フエ訪問者家族を出迎える。

珍しく定刻通りに到着。
しばらく待ち、荷物を取って記念写真

Nさん一家。しばらくフエに滞在し、フエの諸物を
調査する。

車でフエ市内のレストランへ。
夕食。フダビールを飲む。

フォー、チャーハン、肉まんなどを夕食に食す。

香菜を食べられるので驚く。


その後、フォンザンホテルへチェックイン。

健康にこの数日を過ごされることを祈る。

お土産に日本の新聞などを頂く。

「ハイリーホテル」へ帰り、純米大吟醸「文楽」を飲む。

上尾の星野さんに頂く。
味もよいが名前が気に入っている。
私は戦後の咄家では、桂文楽が一番好きである。
しばらく前までは寝る時に聞く落語は桂文楽の「寝床」だった。
時々「明烏」も聞いていた。

純米大吟醸「文楽」は少し辛口で芳醇な味である。
日本が誇る世界的な文化が吟醸酒である。
ワインがどうのこうのと能書きを垂れる輩に日本民族伝統の
純米大吟醸を一発お見舞いしてやりたい。

投稿者 koyama : 18:37 | コメント (0)

2010年01月23日

上尾の星野さん「子どもの家」訪問

曇りのち雨

気温17度。寒い。

午前5時起床。読書「青年の環」

午前7時朝食。

キャッサバ芋うどん  美味しい


午前8時、ベトナム事務所。

静岡市の招待で日本語研修に行っていたハンさん、
トゥー君が帰国。ベトナム事務所に帰る。

二人の研修を報ずる「静岡新聞」

午前8時半、フォンザンホテルへ。

「社団法人国際女性教育振興会」の皆さん18人を
お迎えに行く。

皆さんと一緒に「子どもの家」へ。


「子どもの家」のセン運営委員長の歓迎の挨拶

その後、1時間ほどかけて「子どもの家」を案内する。

午前10時から1時間半、JASS活動などについて
講演会を行う。

午前11時半、講演会を終わり、女性教育振興会の
皆さんと記念撮影


女性教育振興会の皆さんは次の訪問先へ。
私とバオミンさんは、「子どもの家」近くのチャオバンカンの
店へ行き軽い昼食。

私のチャオバンカン(唐辛子少し)

バオミンさん(激辛チャオバンカン)

その足でフエ空港へ。午後1時10分着の上尾の星野さんの
出迎えへ。午後1時にフエ空港に着くと既午後12時10分に
飛行機は到着していることが判明。私たちの時間のミス。
星野さんたちは、既にフエ空港をでて「子どもの家」へ。
「子どもの家」に電話。星野さんが「子どもの家」にいることを
確認。申し訳なく思う。

急いでフエ空港から「子どもの家」へ。

星野さんの里子姉弟と対面。支援の衣類を渡す。

その後、星野さんと社会福祉の大学院生の方を案内し
「子どもの家」を巡る。

星野さんは「子どもの家」のこどもたちに大量の衣類を
寄贈してくれる。深謝。

午後3時雨の中「子どもの家」を出発し「王宮」へ。
1時間ほど王宮参観。

午後4時過ぎ日本料理店へ。日本料理店のこどもたちにも
星野さんは大量の衣類を寄贈。

ソン君がやってくる。婚約したことを報告。
ソン君は10年前から星野さんと知り合い。

星野さんから婚約のお祝いを頂く。

その後、午後6時半まで日本料理店で簡単な夕食を摂る。

星野さんと大学院生は刺繍を買ってくれる。



フエ空港へ行く時刻が迫る。

午後7時、フエ空港チェックイン終了。

日帰りで「子どもの家」へ来て頂いた星野さんの大学院生
の方に感謝。

投稿者 koyama : 21:44 | コメント (0)

2010年01月22日

ハンさん・トゥー君無事ベトナム帰国

曇り、時々雨

気温18度。湿度90%。


午前6時起床。

午前6時50分、ホーチミン市のホテルにいるハンさんから
電話。昨晩、午後11時半、韓国のインチョンから無事
ホーチミン空港へ到着したとのこと。荷物が出てこなくて
1時間待たされ、午前0時半、ホーチミン空港からホテルへ
出発。午前1時ホテルに着き、一休み。
ホーチミン空港で今日の午前11時ホーチミン発フエ行きの
切符をもらい、無事フエへ戻れるようになったとの連絡あり。
ハンさんもトゥー君も相当疲れているようだ。
1月20日に成田を出てインチョン経由でホーチミン市に
行く予定の飛行機が、天候不順のため出発が遅れ、
韓国の仁川(インチョン)空港に着いて時には既に
インチョン →ホーチミン行きの飛行機は飛んでしまっていた。
それからが、ハンさんとトゥー君の困難と不安の始まり。
幸いにも静岡市役所国際課の皆さんが日本から様々な
形で航空会社と連絡をして頂き、何とかインチョンの
ホテルで1泊することができた。
翌日もホテルで過ごし、午後4時にインチョン空港に
行き、インチョン →ホーチミンの飛行機のボーディンパスを
もらう。同時に1月21日のホーチミン市 →フエの切符の
変更と予約も行う。これらも静岡市役所国際課の方々が
日本から様々なルートを使って便宜を図ってくれた。
お陰さまで何とか昨夜11時半にホーチミン空港まで
辿り着いた次第である。
ハンさんもトゥー君も日本やシンガポールに行った経験は
あるが、あくまで「連れて行って」もらったもの。
の種のトラブルに遭遇し、自分たちで解決した経験はない。
何とも心細い数日を過ごした筈である。
結果的には、よき体験をした、ということにはなるが、
心配だっただろうと推察する。
関係者の皆さんの影になっての協力にこの日記上では
あるが感謝したい。

1月19日には、昨年、静大留学生ニフィープロジェクトで
フエを訪問した方々(理事・副学長・学長補佐・・・・・)
がハンさん・トゥー君の送別会を静岡でしてくれた。

1週間強の静岡滞在だったが、ホテル・観光会社・日本語学校
訪問などなど様々な日本体験をした。今後の日本語学校運営・
本人の日本語向上に大いに役立ったことと思う。

午前7時朝食。ブンボー


午前中、静岡市役所国際課へ連絡。
新しい仕事の準備。

メールの受信送信。多数。

午前11時半、昼食。

午後12時半から1時間昼寝。熟睡。疲労溜まる。

午後1時半、読書「青年の環」。ほぼ1000ページの第1巻
を読み終えるところまで行く。

午後、新しい仕事関連でSKYPE打ち合わせ。
静岡市長フエ訪問の打ち合わせ。


バオミンさんといくつかの問題で打ち合わせ。

午後5時、「子どもの家」へ。こどもたちの中で絵の上手な
こどもたちにいくつかの「イラスト」を描いてもらう。

午後6時過ぎ、日本料理店へ。
トイレの排水が再度故障。水が100cmほどトイレに溢れる。
バオミンさんに頼み、明日午前7時半に工事関係者に
きてもらうことにする。

7人の来客。どのお客さんもお寿司を注文。
こどもたちは上手に酢飯を基礎にお寿司を握る。


接客主任のグエットさんが運ぶ

午後9時半、日本料理店閉店。

大塚さん・税田さんと「ハイリーホテル」へ帰る。

今日は朝から何度か日本からの電話あり。
一日全く休みがなく忙しい1日だった。


投稿者 koyama : 10:36 | コメント (0)

2010年01月21日

大塚さん、ベトナム事務所・日本料理店へ

終日雨

気温18度。・湿度90%。

午前5時起床。読書「青年の環」


午前7時朝食。


スープマカロニ

2月2日のフエ市と静岡の皆さんとの晩餐会場を視察。
会場責任者といくつかの問題を打ち合わせする。

午前10時。ベトナム事務所へ大塚さんが挨拶に。

美味しいクッキーをお土産に頂く。

午前中は、ハンさん・トゥー君のインチョンからのホーチミン市
への帰国の飛行機・ホテルの確保について、静岡市役所、
ベトナム航空などと何度も連絡し、打ち合わせを行う。
午前11時半。雨の中「ハイリーホテル」へ戻る。

昼食


午後12時半から1時間半昼寝。

静岡市役所から電話。

静岡市役所へ電話をし確認。

新しい仕事関係の準備。

午後5時、バオミンさん・税田さんと新しい仕事に
ついて意思統一。

午後5時半。日本料理店のこどもたちと夕食。
小麦粉の手打ちうどん。

ベトナム人は唐辛子を多量にぶち込む。

日本人のチャオバンカン

何となく、何とかの雰囲気をかもし出すお二人

16人の来客有。
午後9時閉店。

大塚さんと「ハイリーホテル」へ帰る。


ハンさん・トゥー君は無事ホーチミン市へ到着。

明日の午前11時にホーチミン市を出てフエへ帰る事が
できそうだ。

投稿者 koyama : 00:25 | コメント (0)

2010年01月20日

「オアシスの会」大塚さん、フエ「帰国」

終日雨

気温18度 湿度90%  寒い

午前4時目覚める。読書「青年の環」

午前7時朝食。

キャッサバ芋のうどん  大好き

新しい仕事のことで日本の会計者と何度も打ち合わせ
バオミンさんと打ち合わせ

2月2日来訪する静岡市役所など静岡県ツアーの皆さんの
受け入れ計画を再度確認する。

午前11時半昼食。

雨と湿気の多い毎日。精神的に多少「うつ」状態。

午後12時半から2時間昼寝。体がだるく眠たくなる。

午後2時半 読書「青年の環」。1000ページの80%ほど
読む進める。まだ超長編5000ページの20%程を読んだ
のみである。この本の「序」の部分。
主な登場人物が出てきて、時代状況(アジア・太平洋戦争
の末期・大阪の未解放部落が部隊・反戦運動を行う
大阪市役所職員と彼を取り巻く諸人物像・・・・)


多数のメール受信。必要なメール送信。

午後4時、ベトナム事務所へ。

今日は20日。ベトナム事務所と日本料理店の給料日。
日本料理店のこどもたちに給料を渡す。

副店長兼調理主任のトウオイさん。
最近は年下の調理のこどもたちに料理の作り方を
教えるなど「責任」と「自覚」がでてきた。
給料と「副店長手当て」「調理主任手当て」


グエットさん。真面目にコツコツと接客に打ち込んでいる
真摯な態度に共鳴する。給料と接客主任手当て
小学校教員の姉と一緒に下宿をし自立してた生活をしている。
15年ほど、姉と一緒に「子どもの家」にいた。

最近は仕事への自覚も高まり、自主的に接客を行っている
リー君。どんな来客へも対応できる「特異な」性格を持っている。
元店長だったが、3ヶ月間「家出」をし、南部の金鉱の
タコ部屋に入り、脱走して来る。現在は、接客係り。
早期に店長復活を実現するように話している。
大体いいところにいくのだが、時々、ズッコケル。
最近も自転車を質屋に入れてしまい、そのお金で
飲んでしまったのか、何に使ったのか?
質屋に入れての生活はしないように注意しているのだが・・。



バオミンさんと最近の生活態度、仕事の仕方などについて
厳しく注意をする。ギャンブル、日本料理店の前での飲酒
など・・・・。質屋に自転車を入れた件も注意。

数年前は反抗的に「言い訳」をしていたが、今日は素直に自らの
過ちを認め、「再犯」しないよう注意すると明言。
しかし、彼の「明言」に何度騙されたことか?
とはいっても23歳になり、かなり人生への自覚もでてきた。
人間を育てるということは、「螺旋階段」を登るようなものである。
忍耐と未来への見通しを持った「大人」が必要。

午後5時半。日本料理店夕食。

今日は、調理主任のトウオイさんの指導で年下の
調理見習いのヒエウさんが、「太巻き」を作る。
上手にできていた。日本人などが試食し、批評をした。

昨日は太巻きがうまくできなかったヒエウさんだったが、
試食した人たちから「美味しい」「上手にできた」と褒められ
喜ぶ。

沢山の欧米系の来客有。
多くの欧米系の来客は「お寿司」を注文する。

給料をもらったら直ぐに質屋へ行き、質草の自転車を出して
来たリー君。

午後7時。3ヶ月日本へ帰国していた「オアシスの会」の
大塚さんが帰国。こどもたちは大喜び。

リー君は大喜びでスーツケースを運ぶ

大塚さんの帰国を喜び記念撮影


午後9時、日本料理店閉店。
真面目に仕事をしたリー君と帰国した大塚さんを囲んで
歓迎・激励会を短時間行う。

午後10時過ぎ、「ハイリーホテル」へ。

疲れたの就寝。

午後10時半、韓国のインチョン空港からハンさんの電話。
成田からインチョンへの飛行機が遅れ、インチョン発の
ホーチミン市行きの飛行機に乗れず、現在インチョンの
ホテルにいる。明日の夜、ホーチミン市に付くが、
ホーチミン市のホテルの手配、明後日のホーチミン市 →フエの
飛行機の手配を頼むとのこと。


投稿者 koyama : 23:41 | コメント (0)

2010年01月19日

終日「ハイリーホテル」で仕事

雨  寒い

気温18度  湿度85%。
朝から終日小雨。

午前7時朝食

青豆のおかゆ

午前8時~11時までメール受信。送信。
マルタカへの必要な資料提供。

2月帰国日程の調整。

午前11時半昼食。


午後12時半から2時間昼寝。
気候の変化もあり体調不良。

読書「青年の環」 俄然面白くなる。


午後3時過ぎ、いくつかのメールを関係者に送る。

バオミンさんと当面に静岡市長フエ訪問の対応について
協議。

静岡大学・フエ大学の交流協定書についてバオミンさんと
打ち合わせ。


午後5時半日本料理店fr夕食。


日本の支援者から電話。わざわざ電話を頂き恐縮する。


日本人、欧米系来客有。

午後8時、原田先生が日本語学校から帰る。


午後8時半、日本料理店閉店。

今日は気候のせいもあり、一日中体がだるい。


日米安全保障条約締結50周年。

日米安保条約の全文を改めて読んだ。

投稿者 koyama : 22:30 | コメント (0)

2010年01月18日

ベトナム事務所員会議

1月14日から静岡市役所の招待で静岡市で
日本語研修を行っている「ハンさん」(静岡フエ青年交流会館
事務局長)とトゥー君(同日本語学校生徒)は今夜、JASS静岡
の会主催の歓迎晩餐会に参加。

JASS静岡の会代表の牧田先生、事務局長の笠井さんなど
関係者が二人を歓迎・激励する。
毎日の研修で緊張している二人に取っては、リラックスできる
数少ない機会を作って頂いたと思っている。
JASS静岡の会の皆様に深謝。


========================

曇り時々雨。

午前7時気温18度。湿度85%。

昨夜、午後9時頃就寝したためか、午前2時に目が覚め
眠れなくなる。午後5時まで読書「青年の環」。

午前7時朝食。

朝食は私の好きな「ブンボー」だったが、いつもと味が
少し違う。出汁が十分出ていなかった。

午前8時半、ベトナム事務所で「ベトナム事務所員会議」。

バオミンさんJASSベトナム運営委員長が主宰。

(ソン)1月16日、婚約式をした。ベトナム事務所の皆さんに
    大変お世話様になった。ありがとうございます。
    親戚の人たちが大変感謝していた。田舎なので
    外国人(日本人)が来ることがないので婚約式は
    田舎で有名になった。

   スタディーツアーの日程案を作った。
   「アクセサリー研修センター」の新しい製品作り
   
(原田)中村友香先生と一緒に日本語教育を行って
    大変勉強になった。特に中村先生の授業を見て
    勉強になった。

(フオン)先週の火曜日から「初級コース」がスタートした。
     毎週、火・木・土の3回。
     土曜日から授業をした。学生たちは真面目で教えやすい。

(フーン)先週、特進クラスを2回教えた。会話中心の授業。
     中村友香先生と2週間一緒に日本語の授業をしたが、
     勉強になり感謝している。中村先生から教えてもらう事が
     多かった。


(アン)函館の川人先生から送られた絵画展の表彰状のベトナム語の
   翻訳をした。1枚1枚違う文章なので翻訳が大変だったが
   JASSとしてはありがたいことだ。賞状は37枚あった。

(税田)12月27日から1月13日まで休暇をとった。
     1月14日からベトナム事務所に出勤した。
     函館の会の絵画展の賞状翻訳作業。
     ハンさんと奨学生の名簿確認を行った。


(クアン)特進クラス13課。授業に出てこなかったり早退が
     多い生徒を退学させた。
(ミン)春のスタディーツアーの日程案作り
    ハノイへ「文部大臣表彰」受賞式にいった。
    「アクセサリー研修センター」新製品作り
   


各自の報告の後、2月2日・3日来訪の静岡市長など70人の
ツアー受け入れの打ち合わせ。
同時に2月1日から7日までの北海道芸術高校スタディーツアー
受け入れの打ち合わせを行う。

午前10時、ベトナム事務所員会議終了。

その後、バオミンさん・税田さんと当面の諸問題について協議。

雨の中、「ハイリーホテル」へ。

午前11時半昼食。

午後12時半過ぎ昼寝。

午後2時、ブライセンベトナム本社とSKYPE会議

午後3時、マルタカとSKYPEで仕事の打ち合わせ
長時間。

打ち合わせが終わり、直ぐにバオミンさんと一緒に
マルタカと打ち合わせをした件について、実地調査。

午後5時半、日本料理店で夕食。外は雨。

午後5時半時点で既に日本料理店二人の来客あり。
リー君が接客。夕食が遅くなり一人で夕食。


午後9時までに10人の来客あり。
韓国、ニュージーランド、カナダ・・・・・。

真面目に仕事に精を出すリー君。時々ズッコケルが・・・。

昨日、日本へ帰国した中村友香先生が日本料理店に
残した「足跡」。



午後9時過ぎ、雨の中、「ハイリーホテル」へ帰る。


長い1日だった。


投稿者 koyama : 23:25 | コメント (0)

2010年01月17日

中村友香先生日本へ帰国

曇り時々晴れ

気温20度。

午前7時目覚める。昨夜のアルコールが残っている。
読書「青年の環」。この超長編小説を読みこなすには
かなりの忍耐と努力がいる。400ページほど読み進むと
俄然面白くなってくる。
作者野間宏の人物と心理描写は夏目漱石や志賀直哉
などより優れていると私には思える。

とにかく沢山の人物が登場し、それぞれが魅力的な
キャラクターである。それぞれの人物を見ながら、
本全体の流れをしっかりと掴むという読み方が必要に
思えた。何しろ1冊1000ページの本が5冊という
超長編である。今後の展開が楽しみである。
1冊目は全ての登場人物を登場させ、アジア太平洋戦争
に突入する大阪での反戦運動をしている京都大学などの
卒業生を中心にした様々な人々の人生模様(生き方、
思想、セックス、人間像・・・・・)などを総合的に描いている。
非常に興味の持てる本である。

日本の支援者からSKYPE。

午前10時、起床。お腹がすく。

年末にフエに来られた支援者の方から頂いた
乾麺の「そば」を100グラム湯出て食べる。

この数日間、忙しくて読めなかった受信メールの
全てに目を通す。必要なメールへの返信。
またそのメールを受けてバオミンさん・税田さん
に具体化のメール送信。

午後12時過ぎ、眠くなる。昼寝。

午後2時目が覚める。

読書「青年の環」

2010年2月「日本帰国日程」を作る。
帰国の飛行機の切符をバオミンさんに頼む(メール送信)

午後5時半、「ハイリーホテル」に中村友香さんを
フエ空港へ見送る車が到着。
税田さん・原田先生・フオン先生・私でフエ空港まで見送りに
行く。

●「ハイリーホテル」前で

●フエ空港着。チェックインが終わった時、バオミンさん(結婚式参加)
 から「お礼れの電話」あり。

●午後6時半。チェックイン完了。
 見送りの皆さんと記念撮影


1月1日から17日間、日本料理店やベトナム事務所の
仕事を手伝ってくれた。感謝。
自主的に日本料理店内に「フダ生ビール」の写真や
刺繍みやげ物店の作品販売所、トイレへの道順などの
掲示を作ってくれた。

JASSの日本語学校の教師として20人近くの若者が
きてくれた。私にとっては、全ての先生方は私の子どもの
ように思っている。仕事はどうなっているのかなど様々な
ことが心配になる。

昨日、フランスにいる西山優子さんからメールが来た。
フランス人と結婚し、お子さんが生まれた。
お子さんの写真も添付されていた。目のクリクリした
可愛いお子さんである。
こうして、JASSベトナム事務所に手伝いに来てくれた
若者一人一人が帰国後それぞれの人生を歩んでいる。
全ての関係者(若者)が幸せになって欲しいなどという
「親心」がでてしまった。

いよいよ2階の待合室へ。中村先生はニコニコと微笑んで
2階へあがっていった。

中村先生も健康で幸せな人生を送って欲しい。

中村先生を見送り、「ハイリーホテル」へ帰る途中、
悲しいかな「恒例の交通事故」。国道1号線。

昨夜も「ハイリーホテル」の付近で交通事故あり。

昨夜、午後9時半、中村先生・原田先生とタクシーで
「ハイリーホテル」へ帰る。途中で交通事故。


フエ空港から「ハイリーホテル」へ行く途中、運転手さんに頼んで
夕食の「ベトナム風ほか弁」を買う。

20種類位のおかずから適当に「指を刺す」とお弁当を作って
くれる。100円。


数日前から口内炎が2つほどできている。
物を食べたり飲んだりすると「しみる」。


火炎樹日記を書き、読書「青年の�%

投稿者 koyama : 21:26 | コメント (0)

2010年01月16日

ハンさん・トゥー君、無事静岡到着 日本語研修開始:ソン君・メンさん婚約式:フエ市共産党・人民委員会役員懇談

(本日は特別号)


午前8時、午後3時、午後10時と3回火炎樹日記を更新し
新しい内容をアップする予定。

第1弾(午前8時)1月14日、ハンさんとトゥー君の静岡着。
第2弾(午後3時)ソン君・メンさんの婚約式
第3弾(午後10時)中村友香先生送別会。フエ市共産党
            人民委員会の皆さん主催。

(注)上記時刻はベトナム時間。日本時間は+2時間


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
             
訪日した「静岡フエ青年交流会館付属日本語学校事務局長」
のハンさんと生徒のTU君が2010年1月14日、無事、静岡空港
へ到着した。

(静岡市役所国際課蒲生さんと山梨さんの出迎え)

(JASS静岡の会副代表の滝下さんの出迎え)

静岡市役所国際課の蒲生様をはじめ関係者の皆様に
感謝。


以下、JASS静岡の会副代表の滝下正敏さんの
報告


ハンさんとトゥー君は,ホーチミン空港から韓国・仁川空港経由で
富士山静岡空港に定刻の午前11時45分,無事に到着しました。
空港には,静岡市国際課の蒲生(主任主事)さんと山梨さんの
お二人が横断幕を掲げて出迎えて下さいました。

富士山静岡空港は,お茶の生産で有名な静岡県中部の牧ノ原
台地の頂上(標高132m)に位置し,普段でも風が強く,おまけに
昨日は静岡市内で今年初めて風花が舞い,本日の天気予測では
静岡地方も今年一番の寒さ(最低気温が-3℃)と言っていましたので,
お二人には辛かった静岡の第一印象かもしれません。

しかし,今日からの一週間,お二人を招聘された静岡市の研修
計画が大変すばらしい内容(ホテル,観光会社での研修。日本語
学校での留学生との交流など)になっているとともに,多方面で
国際課の皆さんがいろいろとご配慮して下さっていることもあります
ので,この寒さも十分乗りきっていけるものと思われます。

また,お二人が研修の合間にJASS静岡の会会員との交流会や,
一昨年の4月にフエ連絡事務所を開設した静岡大学関係者との
懇談の時間を設けていただけたことに対して,この場をお借りして
静岡市国際課の皆さんに,改めて深く御礼を申し上げたいと思います。
(滝下メモ)

======================

午前7時朝食。


キャッサバのチャオバンカン

午前9時、バオミンさんが「ハイリーホテル」へ迎えに来る。
今日はこれから「ソン君・メンさんの婚約式」。
ソン君一族がメンさんの実家を訪問し、両家の親戚付き合い
開始の挨拶をする儀式の日である。

午前9時40分、フエ市内から車で30分ほどの純農村地帯に
メンさんの生家がある。現在、兄のグエン君が結婚し
母親と暮らしている。

午前9時50分、メンさんの実家にソン君一族が到着。
みやげ物を持ってメンさんの実家を訪問し、親族の「杯」
を取り交わす儀式に臨む。


●ソン君一族が「貢物」をもってメンさん一族を訪問する行列



●本来は金銀財宝を持っていくのだろうが、現在の
 農村では、「びんろう」やお菓子・ケーキ、お酒などを持って
 いくようだ。



両家の親族が対面。私はソン君の父親役で参加。
隣はソン君のお母さん。
両家の長老が前列に並ぶ。

●ソン君一族

両家の長老がお酒を飲み交わし、固めの杯(さかずき)とする。



ソン一族の長老が挨拶した後、私が挨拶。
若い二人の幸せと両家の末永い親交を願うと挨拶する。



続いて、ソン君のお母さんからメンさん・ソン君に
婚約の指輪が贈呈される。結婚式の指輪はまた別に作ると言う。


ソン君の母親から指輪を贈呈されたソン君・メンさん。




メン一族



ソン一族


婚約式を喜ぶメンさん
メンさんの着ている白いシンプルな着物がフエでは
「粋な」「流行」の衣装だそうだ。


両家「固めの会食」

料理は、メン家一族で飼っている「アヒル」「豚」を
朝3時から捌いて作った「アヒル」「豚」「鶏肉」料理。

メンさんのお兄さんのグエンさん(メンさんと妹と一緒に
「子どもの家」に入所していた)も裏方で仕事を手伝う。



何度も何度も「固めの杯」を繰り返す。


メン一族の長老。左の方が66歳で一族のトップ。
右の方が80歳で一族のNO2。

二人が挨拶をした。「メンは親がいなくて・・・・」と言った途端に
声がつまり、二人とも泣き出してしまった。
何度も日本人の施設でメンとトゥーイを預かってもらい感謝
している、と繰り返し泣いていた。


メンさんの一族。伯父さん・叔父さんたち


ソン君一族(左お母さん)


メンさんのお兄さんもお祝いの一杯を飲む

両家の親族は入り混じって乾杯を繰り返す。
そこに日本人スタッフも「闖入(ちんにゅう)し、大いに盛り上がる。


両家の親族の長老に婚約の挨拶をするソン君とメンさん


ソン君のお母さんが皆さんに挨拶


新郎新婦(予定)の二人が参加者に挨拶をして回る




甥や姪を抱っこする「新婦(予定)」のメンさん


●ソン君のお父さんに代わって私が参加者に挨拶する



●兄弟になる4人。元々「子どもの家」のこどもたちだった。


●メンさんの妹のトゥーイさん(フエ師範大化学科)も
 接待の手伝いをする。


●両家の懇親が終わりほっとして最後のお茶を飲む
 メン一族の長老


●最後に両家が末永く付き合って行こうとの決意を述べ合う



●メン一族の長老の皆さんと

●午後11時45分、婚約式終了。帰宅の途へ。

●最後に両家全員で記念写真


メンさんの叔母さん・伯母さんたち

幸せ100%満開のソン君とメンさん。
「子どもの家」のこどもの結婚第一号。幸せになって欲しい。
16年の月日は小学生で入所したソン君・メンさんが結婚する
場面に立ち会えると言う喜びを私にもたらした。
幸せなことである。

●メンさん3人兄弟。兄のグエンさん夫妻と二人のお子さん


●ソン一族全員の写真


メンさんの実家は純農村地帯。のどかな田園風景がどこまでも
続く。人間も純朴になる。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

午後5時半、フエ市共産党とフエ市人民委員会主催の
晩餐会。中村友香先生の送別会。明日1月17日(日)、
中村先生が2週間のフエ滞在を終わり帰国。
今日は、中村先生を送別するフエ市共産党・人民委員会の
晩餐会。
ベトナム事務所からは、税田さん・バオミンさん・原田先生
中村先生・私が参加。
フエ市共産党からはT人事部長(事実上の副委員長)、
N外務部長、Yフエ市警察副署長、A年都市計画部長、
Bフエ市外部部員。

懇談会でフエ市共産党・フエ市人民委員会はJASSへの
不当な攻撃に対しては徹底して排除するとの確約をする。

●左から N外務部長、 Yフエ市警察副署長、Tフエ市共産党
 人事部長


●バオミンさんとフエ市共産党人事部長

一昨日のハノイ行きから頑張っているバオミンさん



税田さん・フエ市外務部員・小山


レストランの社長も参入。



小山とフエ市共産党人事部長



魚の料理が美味しかった


原田先生、中村先生もベトナム側の度重なる
『一気飲み』に応えてくれた。

フエ市都市計画部長と小山



フエ市共産党・フエ市人民委員会から中村先生への
餞別



中村先生からお礼の送り物

「中村友香さん送別会」もお開きに近づいた


午後9時、閉会。


日本人とバオミンさんは日本料理店へ帰る。


中村先生が新しい暖簾(のれん)を持って来てくれた

欧米系の来客2人がいた。若干話をする。
ロンリープラネットを読んだという。


9時過ぎ、日本料理店のこどもたちが帰宅。
中村先生にお別れの言葉を言う。



その後、自転車を質屋に入れているリー君を交えて
若干の時間、「反省会」を行う。


午後10時前「ハイリーホテル」へ帰着。

「ハイリーホテル」で今日の日記を書く。

これで今朝予告した「3回」の火炎樹日記日記の掲載を
終わる。

この数日、あまりに忙しく、受信メールを読んだり、返信する
時間がない。

午後11時半就寝。


投稿者 koyama : 08:19 | コメント (0)

2010年01月15日

ベトナム文部大臣表彰式参加

寒い  ハノイ気温17度。

午前5時起床。
読書「青年の環」

午前7時、ホテル1階のビュッフェで食事。
フォーを食べるが不味い(まずい)。野菜。
ヨーグルト、チャーハンを少し。

午前8時前、バオミンさんとホテルを出てタクシーで
30分ほどのハノイ市郊外にある「ナショナル・コンヴェンション
センター」へ。

2006年にここで「アセアン諸国」と日本、アメリカ
などとの会議があった。その時の写真が入り口に大きく
飾ってあった。

この頃はまだ元気のあった方だったが・・・・・・・

午前8時45分、国歌(を聞く)で開会。
東京など日本の文部省や一部教育委員会などのように
君が代を歌うかどうか、声が大きいかどうか、口を開けているか
どうかなど教職員やこどもたちの歌い方を写真やビデオで撮影し
歌っていないと処分するなど常軌を逸した指導をしている
と言う声を聞く。

今日の「文部大臣表彰式」には、国会主席(大統領)と
副首相兼文部大臣、その他「お偉いさん」多数列席である。

本日の開会の「国歌」は「斉唱」ではなく、音楽をテープ
で流し、参加者が聞くというもの。会場の後ろの方では
主催者側(文部省・・・)のスタッフが「ベチャベチェ」しべっている。
思わず、「お前ら、ベトナム社会主義共和国の公民として、
公務員として国歌くらい静かに聴け」と言ってやりたかったが
場違いなのでやめた。
ことほど左様に、国歌は歌わないければいけないなどと
処分をちらつかせる国もあるが、世界は広い。
国民にはかなり厳格な態度を取っているベトナムでは
国歌は聞くということが正式な行事となっていることに
多少、驚く。
もっとも数年前、フエのグエンフエ高校の卒業式に
参加したことがある。国歌が流れ、みんなが聞く。途中で
国歌のテープが切れてしまう。司会の副校長は
どう処置をするのかなと興味津々で見ていると、
平然と「式次第の2、学校長の式辞」と次に
移ってしまった。実に柔軟な対応であった。

国歌の話が長くなったが、とにかく「文部大臣表彰式」が
開会された。


最初にこどもたちの歌や踊りの披露があった。


少年先鋒隊(旧ソ連のピオニールに当たる共産党の少年組織)
の挨拶。子どもの軍隊のようであった。

司会者登壇。
来賓など「お偉いさん」の紹介。

第1番目が「グエン・ミン・チエット」国家主席〔大統領)
第2番目が「グエン・ティエン・ニャン」副首相・兼文部大臣
第3番目がベトナム共産党代表
その他

はじめにニャン文部大臣(教育訓練省大臣)の挨拶。
割合と簡単に終わる。


続いて、文部副大臣の教育の現状と成果という40分ほどの
報告があった。長い。


ハノイの田舎から来たおじいさんが壇上で話をする。
1947年に父親と農業をしているとホーチミン主席がやってきて
「勉強をすることは大事なことだ」と言った。当時、父親と
フランスとの反仏戦争を行っている時期だった。
自分はその時こどもだったが、ホーチミン主席の言葉に
従い、老後、自分の農地を1200万円で売って、学校を
作り、ベトナムのこどもたちが勉強できる環境を作った。
ホーチミン主席は偉大である。


カマウ(ベトナム最南端の省)の教育長の報告。

最後にチエット国家主席(大統領)の挨拶。
ベトナムの国家予算の20%は教育に使っている。
ベトナムは教育国家だ・・・・・・。

会場には数百人の参加者あり。


最後に受賞への表彰式


●チエット国家主席(大統領)と小山


●ニャン副首相兼文部大臣と小山


午前11時半、表彰式は終わる。

その後、参加者全員で立食パーティー。だが、
私とバオミンさんは「他に仕事があった」ので
お先に失礼する。

●会場入り口で記念写真


その足でホテルへ。チェックアウト時刻午後12時まで20分
ほど部屋に戻り荷物の整理。とにかく今日は疲れる。
10分程、ホテルの部屋で休む。

午後12時過ぎ、ホテルを出て、「チャーカー通り」
にある「チャーカー」のお店へ。

チャーカーは、魚を特殊な油のようなものと特殊な
野菜、ねぎで煮る。マムトム(海老の唐辛子入り塩辛)
をつけて食べる。私はベトナムで一番好きな料理は
この「チャーカー」である。


ハリダビール(ハノイの名物ビール)の新しいバージョンが
できた。試飲する。更に美味しくなった。
こうした新しいビールの味を調べるのも日本料理店の
運営に対する熱心な気持ちの発露である。

3人前のチャーカーを2時間ほどかけて食べる。


その後、フエの日本料理店に電話。日本料理店で必要な
茶碗や食器類があったら買っていくと話す。
お茶碗(20個)湯飲み茶碗(20個)を頼まれる。
チャーカー通りからタクシーで30分ほどの郊外の
農村地帯にある「バッチャン」へ行く。ベトナムで「バッチャン」
といえば日本の「瀬戸」の「瀬戸物」と同じ。
農村の中に忽然と数十軒の陶器屋さんが出現。

お茶碗はあったので買ったが、希望の色の湯のみ茶碗は
なかった。

午後4時過ぎ、バッチャンをでて、ハノイ空港へ。
午後5時過ぎ、ハノイ空港へ。チェックイン終了。
今回は、普通の席がなくなってしまい「申し訳ないが、
ビジネスクラスに乗って下さい」とのことで、
普通席の切符を買ったのだが、座席は私もバオミンさんも
ビジネスになった。

フエ省教育局長も今日の「文部大臣表彰式」に参加していた。

午後8時20分、フエ空港着。タクシーで日本料理店へ。
茶碗をこどもたちに渡す。

「ハイリーホテル」へ。

昨日と今日の日記を書き午後11時就寝。今日は本当に疲れた。

投稿者 koyama : 23:41 | コメント (0)

2010年01月13日

急激に寒くなる  税田さんフエ帰国

雨のち曇り

午前11時半  気温17度。湿度85%
1日中、寒い。

午前6時50分目が覚める。慌てて朝食へ。
昨夜の日本料理店でフエ市共産党などの皆さんと
中村友香さんの交流会でベトナム人側が「日本酒を温めて」
飲みたいとのリクエストあり。日本酒を飲んだのがまだ朝まで
少し残っている。

午前7時朝食。


その後、静岡市長一行のフエ訪問の準備。
日程、車、訪問先等を確認。
日本の観光会社(K観光)に連絡し打ち合わせをする。

バオミンさんといくつかの問題で打ち合わせ。

訪日するハンさんと電話で話す。

日本の何人かの方々とメールで連絡。


午前11時半、昼食。

寒い。

午後12時半から1時間半昼寝。熟睡。

その後読書「青年の環」(いよいよ、特高警察の包囲の輪が
縮まる。)

午後2時。日本の支援者などといくつかのメール連絡。

バオミンさんと何度もいくつかの課題で電話で打ち合わせ。
静岡市長フエ訪問の日程・諸準備。

小雨の中、午後5時、日本料理店へ。

午後5時半、夕食。
中村友香先生が日本料理店で指導。
中村先生がいると日本料理店は引き締まる。


午後7時、税田さんがフエ空港から直接日本料理店へ。
日本料理店のこどもたちは興奮して歓迎。特にリー君。

中村先生は調理主任のトウオイさんの精神指導。

午後9時過ぎまで何人かの来客あり。
イングランドからの来客は「ロンリープラネット」を読んだ
とのことで、若干の時間話し合う。日本の関西地方の
高校で日本語を半年間ほど教えていたとのこと。

税田さんが帰国したのでとりあえず「乾杯」

中村先生が日本料理店内に刺繍みやげ物店の支店を開店



更に日本料理店内に「フダ生ビール」の宣伝写真を貼る



午後9時過ぎ、来客が帰る。税田さんの帰国を祝い
関係者で祝杯。


午後9時半、日本料理店から帰る。

今日は1日中、雨。寒い。

投稿者 koyama : 18:54 | コメント (0)

2010年01月12日

ブライセンKYPE会議:フエ市共産党・市役所一同と中村友香さんの懇談会

終日雨

気温20度 湿度70度。風が強く寒い。

午前4時半、雨の音で目が覚める。

読書「青年の環」

午前7時、朝食。ブンボー。

午前8時から午前11時半まで各所と連絡などを行う。

静岡大学。通販大手「フェリシモ」。マルタカ社長。
ピースインツアー。バンベーの配布について・・・・。


午前11時半昼食。気温が下がり、寒い。


午前12時半、昼寝。1時間ほど熟睡。

午後2時、ブライセン本社と「SKYPE会議」
ベトナムのテト正月の勤務体制、日本語教育実施の件などを
打ち合わせする。

午後2時半、ベトナム事務所へ。
午後3時、「縫製研修センター」の三浦さんと当面の諸問題を話す。


午後4時、ハンさんと訪日の件について最終打ち合わせ。
ハンさんは明日から日本へ行き、日本語教育を1週間ほど受ける。

午後5時半、フエ市共産党委員長ユン氏、フエ市共産党人事部長
トアン氏、フエ市外務部長ニエン氏、フエ市財政部長トアン氏
ユンフエ市警察副署長が日本料理店に来訪。
一昨年(2008年)1月26日、東京北区教育会館で行われた
第14回現地現地報告会にフエから来訪され
挨拶と現状報告をしてくれたフエ市共産党と人民委員会の役員の
皆さんが、日本滞在中に各所を案内してくれお世話になった
中村友香先生にお礼の会をしたいとの要望があり、中村さんの
フエ離越を前に今日、懇親会が開かれた。

フエ市共産党ユン委員長の挨拶。
2年前にJASS総会で挨拶した際、中村友香さんに大変お世話に
なった。今でも感謝している。こうした機会を通してJASSと
ベトナム・フエ市との友好交流を進めたい。

2年前の現地報告会の参加した共産党人事部長のトアンさんと
フエ市人民委員会財政部長のトアンさん。

フエ市人民委員会外務部副部長ホアン氏
16年前に私がフエ師範大学で日本語を教えた第1期生。
バオミンさんと同級生。

フエ市共産党・フエ市人民委員会幹部と歓談するバオミンさん


今夜の懇親会の中心である中村友香先生。
隣は原田先生。



旧友のユンフエ市警察副署長。

中村友香先生とこどもたちが考えた今夜の料理

天ぷら


今日仕入れた「サーモン」と「イカ」の刺身

豚肉とキムチの和え物(ベトナム人の好きな食べ物)


フエ市共産党委員長と日本酒の飲み比べをする原田先生

お寿司と太巻き

フエ市共産党委員長と乾杯をする中村先生


懇親会全景

午後8時半、懇親会は終了

フエ市共産党委員長より中村友香先生にプレゼント贈呈


日本料理店の片付け、こどもたちの帰宅。

その後、私、原田先生、中村先生、リー君で反省会。

「ハイリーホテル」帰宅午後10時半。


投稿者 koyama : 16:11 | コメント (0)

2010年01月11日

ベトナム「文部大臣表彰」受賞

快晴  

気温が少し下がる。寒く感じる。腹痛あり。

午前5時起床。読書「青年の環」
戦時中「最低の良心」のために反戦運動を進めている
主人公と大学の同窓生の仲間。京都での検挙に続き
いよいよ大阪の関係者の検挙が近づく。
関係者が集まり秘密の対策会議。

午前7時朝食。豆のおかゆ


午前8時半、ベトナム事務所へ。

今日は日本語教育部長のフーン先生の00歳の誕生日。
ベトナム事務所で誕生祝いを行う。

ベトナム事務所員全員で「HAPPY BIRTHDAY」を歌い
ケーキを贈呈。


ベトナム事務所全員で誕生祝の色紙を書く


石上先生・中島先生

誕生ケーキ
(16年前に比べると随分美味しくなった)



ベトナム事務所3階の「ブライセンベトナム支社」の皆さんも
誕生祝に参加。誕生ケーキを相伴にあずかる。

ブライセンベトナム支社新入社員のチュン君もケーキの相伴


臨時のウエーターになった「クアンさん」

突然、日本料理店の「寅さん」が誕生会に「闖入」。
寅さんは鋭い「嗅覚」を備えている。どこにいるのか不明なのだが、
ケーキの香りを嗅ぎ付けベトナム事務所2階の日本語教育部の
部屋へやって来た。
一緒に誕生ケーキを食べて、お祝いをする。


今日、突然、ハノイの「文部大臣」から手紙が来る。
1月15日、ハノイの国際会議場(アセアンの会議をした所)
で「文部大臣表彰」を行うとのこと。「長年のベトナムでの
教育やこどもたち支援での多大な功績を高く評価する」
とのこと。

15日と言えば、あと4日しかない。さすがは、ベトナムである。
この種の表彰も4日前に連絡すればよいとの「のんびりした」
考えのようである。

急いでバオミンさんに頼み、1月14日夜のハノイ行きの
飛行機便を予約してもらう。

午前11時半。昼食。


午後12時半から昼寝に入る。途中電話があり目が覚める。

読書「青年の環」

静岡大学副学長と何度かメールで意見交換。

12通のメール受信。必要な返信をする。


午後4時過ぎ、ベトナム事務所へ。

昨日の日曜日、リー君が立会い、トイレの下水工事を完了させた。
今日からは、安心して日本料理店を開店できる。

ベトナム事務所に日本料理店副店長兼調理主任のトウオイさん
を呼び、明日午後5時半からの10人の貸切り会食の
献立を考えるよう話す。

午後5時半、日本料理店のこどもたちと夕食。

魚のフライあんかけ、野菜炒め。美味しい。


リー君は毎度のことではあるが、5分で食事を終わり
日本料理店の接客ポジションに就く。

夕食後、中村友香先生を中心にトウオイ調理主任など
調理関係のこどもたちで明日の10人の貸切り会食の
献立を考える。

午後6時頃から来客あり。
午後9時までの12人の来客。オランダ、豪州、日本・・・・・・。

午後9時過ぎ閉店。

日本料理店の机の掃除、食器の片付けなどをして
こどもたちは帰る。リー君も帰るところなのだが、
自転車がない。「友達にかした」というが怪しい。
昨日の日曜日に友達と飲んでお金を使ったか、ギャンブルに
手を染めてスッカラカンになったか? 自転車を「質屋」に
入れた模様。1月20日の給料日が近いので安心して
質屋通いをしているようだ。

原田先生・中村先生と「ハイリーホテル」へ帰る。

午後10時過ぎ、静岡大学の滝下さんからSKYPEあり。
いくつかの件について、情報をもらう。

午後10時ごろからかなり激しい雨となり、更に寒くなる。

今日は成人の日。今年の成人は127万人。
私たち団塊の世代の半数とのこと。私たちは250万人
程度が一度に20歳になったのだ。
入試、学校の教室数、1クラスの人数、プレハブ教室、
臨時教室など随分無理に無理を重ねた中で育って
来たことが分かる。それで団塊の世代の一部(含む私も)は
「ひねくれている」のだと得心した。
私の成人式の日は、「成人式など意味がない」として
家で寝ていた。

投稿者 koyama : 18:08 | コメント (0)

2010年01月10日

散歩 フエ市人民委員会役員結婚式参加

快晴

気温27度 卒度60%


午前6時目が覚める。
読書「青年の環」(野間宏著)
百数十ページを読み進むと主人公が大阪市役所福祉課福祉係り
の下っ端役人であり、福祉課は大阪市の戦前の未解放部落の
担当であることがわかる。同時に非合法の反戦運動にどうも
関わっているようで、京都の組織が検挙され、もしかしたら
自分たちの大阪も危なくなるとの情報が入る。
学生時代の反戦運動の先輩で自分をそうした思想傾向に
導いた大道が運動から手を引いたかのような感じの
状況が書かれている。
戦後の大阪市。戦争のための皮革の統制などがあり、
部落融和会などを通しての皮革原料や皮革修理の
仕事が国家統制され始める。埼玉県でこうした国の動きに
暴動が起きるという状況の中で大阪市のお役人(市長・部長・・・)
の事なかれ主義、責任を持たない体制が見事に描かれている。

午前10時、チャオバンカン(小麦粉の手打ちうどん)。
12月31日に調理主任のトウオイさんに1キロのチャオバンカンを
買ってきてもらった。1キロがどの程度あるのかが分からなかった。
大量。1キロで10000ドン(50円)。
正月三が日、毎日チャオバンカンを食べたが3分の1程度しか
食べられなかった。もったいないので、小分けにし冷凍庫にいてれ
置いた。冷凍したうどんを解凍したらどうなるのかも分からないが
自然解凍させ、湯でて見る。美味しい「釜揚げうどん」ができる。
冷凍したチャオバンカンを1キロ50円で換算すると「7円」くらい。
7円の朝食を済ませ、日記の誤字脱字のチェック。若干あり訂正。

午前9時頃から屋上にフトンを干す。

その後、部屋などを隅から隅まできれいに掃除。最後は水で拭く。

午前11時から1時間かけて川沿いを散歩。

気温が高く日差しが強い。真夏のようである。川の水も夏のように
滑らかで穏やかな様子である。


途中で「下水」の工事をしている。どんな下水管を使っているのかを
見る。薄いプラスティックの管である。これでは何年かしたら
直ぐに穴が空き、壊れてしまうことが分かった。

午後12時半、シャワーを浴びる。

昼寝。2時間。

午後2時半に目が覚める。部屋は日本流に言えば、
「春先」のポカポカ陽気。眠気が更に増す。

東京のマルタカに刺繍写真百数十枚を送る。

読書「青年の環」。

午後4時過ぎ、バオミンさんが「ハイリーホテル」まで
迎えに来てくれる。
結婚式参列。

今日の結婚式は元フエ市人民委員会外務部副部長で
現在フエ市人民委員会事務局次長(日本政府でいうと
副官房長官)の女性と新しくできたフエの5つ星ホテルの
デレクターのフランス人との結婚式。
新婦はバオミンさんとコックホック高校で同級生だった。

新しくできたフランス系の「フンボンホテル」

フエにはもう一つ「インペリア(帝国ホテル)」があるが、
地元の人は誰も「5つ星ホテルとは認めていない。
ハノイの観光省に「賄賂」を上げてとった「嘘の5つ星ホテル」
と言っている。実際、私たちの関係者が行ってみても
フエの「4つ星」ホテルの方がよほどサービスなども
良い。

今回できた「フンボンホテル」は名実もともに本当に
5つ星ホテルのほぼ近いとの評判である。

招待状は午後5時半開会とあったが、そこはベトナム。
午後6時過ぎに開会。

新郎(フランス人)新婦(ベトナム人)が会場入り口で
出迎え。

会場には450人の参加者あり。一人の食事代が45ドル
だそうだ。今日の結婚式は最低200万円以上の費用がかかって
いる。フエの労働者の月給は1万円から1万5千円程度。
今日の結婚式は一般のフエの労働者の1ヶ月の給与の
300倍程度の費用をかけている。25年分の年収。
物価の比較では日本が100倍。
今日の結婚式の費用は日本流に言えば2000万円から
3000万円という超豪華な結婚式である。
フエ市とフエ省の共産党・人民委員会の要職の人々、
フエ市の「上流階級」の人たちが着飾って参加していた。

元フエ市共産党委員長、フエ省教育副局長・・・・・

450人の参加者。

フエ市外務部長のニエン氏と奥さん



壇上ではアトラクションが行われている。
歌と踊り


両家の家族の挨拶


両家の親が各テーブルの参加者に挨拶

前フエ市共産党委員長へ挨拶

今日の料理(純粋なベトナム料理)


投稿者 koyama : 17:25 | コメント (0)

2010年01月09日

ソン君と結婚式の打ち合わせ:刺繍みやげ物店視察

終日曇り

午後2時の気温20度、湿度65%  寒い。

午前5時半起床 読書「青年の環」。段々全体状況が
見えてくる。長編小説なので状況描写がやたら延々と続く。
作者の野間宏の本では、「真空地帯」を読んでいるが、
「青年の環」は、人間の複雑な心理描写を状況描写と
絡ませて描いているので、少し「粘着質」とも思える作者の
情景描写がある。

午前7時朝食。

精進ブン麺(まあまあ? 半分ほど残す)

少し色が「毒どく」しく食欲減退する。

午前8時半、ベトナム事務所へ。電動バイクのハンドルが故障。
ベトナム事務所に着くとリー君がいた。リー君に「どこかで
修理してもらうよう」に頼む。


ベトナム事務所1階の日本料理店の「トイレ」が故障。
直ぐに修理に入る。かなりの大工事になるようだ。
日本料理店と隣の精進料理店の間の通路の下に
ある下水管が壊れているとの事で、通路全体を掘り起こす
工事が始まる。

しばらく工事はかかりそうである。

ベトナム事務所の皆さんに挨拶。

ソン君が結婚式の話を相談したいとのこと。

2010年7月21日の結婚式の式場について。
フエ市内のホテルなどで結婚式をするとお金がかかる。
自分たちにはまだお金がないので、結婚後の生活などに
費用がかかるので、お金持ちがするような市内のホテルでの
大げさな結婚式はしない。ソン君の実家(現在お母さんがいる)
で簡素な結婚式をしたいと思っているがどうだろうかとの相談。
バオミンさんと私は「そうした方が良い」と助言する。
「子どもの家」のこどもたちで大きなホテルで結婚式をしている
卒業生もいるが、それはそれ。結婚の相手の家庭に余裕の
ある人はそうすることもできるが、ソン君とメンさんは「子どもの家」
で育ち、やっと就職したばかり。他の「お金持ち」の真似をする
必要もないと助言する。

日本の支援者で2010年7月21日昼からの結婚式に
参加し、応援していただける方は是非お越しいただきたい。


Eメール koyamavn@dng.vnn.vn

ベトナム事務所電話(直通) 001-010-84-54-3828177

午前9時過ぎ、バオミンさん、中村友香先生と「子どもの家」へ。
中村先生は日本料理店で販売する「子どもの家」刺繍みやげ物店
の刺繍を取りに行く。

私は刺繍みやげ物店にある全ての作品と全ての刺繍の図案を
デジカメに撮りる。

2時間ほど時間がかかる。

ブックカバー

ペットボトル入れ


午前11時半昼食。

午後12時半昼寝。1時間半熟睡。

読書「青年の環」

メール受信。送信 多数


午後5時、日本料理店へ行こうと「ハイリーホテル」を
出ようとしたら、5~6人のこどもたちが「ハイリーホテル」の
玄関の植木を引き抜き、発泡スチロールのごみを
「ハイリーホテル」の玄関や庭にばら撒いている。
昨日は、玄関に石が多数置かれていた。

私が玄関を出た途端にこどもたちは逃げていった。
悪いことをしているというこを理解していることが分かる。
私は駆け出して、一番年上の男の子を捕まえる。
「ハイリーホテル」の1階に「確保」。

例えこどもであっても、人の家に入って、発泡スチロール
を割ってごみを散らかすことは許されない。
男子を1名「ハイリーホテル」の1階に確保し、厳しく
詰問する。ソン君に電話をし、来てもらう。

「ハイリーホテル」の玄関に「ハイリーホテル」の
植木を引き抜き置いていた。

「ハイリーホテル」の玄関や庭に発泡スチロールを割って
わざとごみを散らかす。


玄関に自転車を乗り付けての「犯行」。確信犯。

男の子をソン君と厳しく追及。家の電話番号を聞きだし、
親を呼ぶ。近所のこどもたちである。
15分位すると両親が来る。
両親にこどもたちが自由に遊ぶのは勝手だが、
人の家に自転車で忍び込み、庭の植木を引きちぎり、
ごみの発泡スチロールをちぎって人の家の玄関や
庭を汚す権利はない、と厳しく詰問する。
両親は謝る。両親に「貴方の近所のこどもたち5人ほどは
にげてしまった。履物を置いて慌ててにげたのもいる。
お子さんに名前を聞いて、庭と玄関の掃除をさせるように
言って欲しい。それができなければ、明日�%

投稿者 koyama : 18:32 | コメント (0)

2010年01月08日

米国NGO代表案内

終日雨

午後2時  気温20度 湿度70%
気温が昨日より7度下がる。寒い。


午前7時朝食。

午前8時ベトナム事務所へ。
昨夜日本料理店に来たアメリカNGO副代表の
方が「子どもの家」を参観したいとの希望が
あり午前8時半にベトナム事務所へ来る約束をした。

午前8時50分、アメリカNGO副代表がベトナム事務所へ
来訪。彼女のNGOはインドのNGOと協力して
毎日1250人のこどもたちに食事を提供しているとのこと。

バオミンさんと一緒に「クリスチャンさん」を「子どもの家」へ
案内。

こどもたちにインタヴュー。こどもたちは的確に英語で
返答していた。

絵画教室でフエ芸術大学のフックさんと話し合う。


クリスチャンさんは私と同い年。非常にパワフルに
活動している。その源はなにか究明する。
彼女も1960年代「ベトナム戦争反対闘争」をアメリカの
大学で行ったとのこと。
彼女はその後も日和見を起こさずにインドのこどもたちの
支援など永続的に続けてきている。何となく同じ「体臭」
持っていると思っていたい。

帰りに300ドルの寄金を頂く。
彼女のNGOの代表である「ニューヨーク州立大学学長」が
近日中に「子どもの家」に来るので応対して欲しいとのこと。

午前11時過ぎ、案内を終了。

午前11時半「ハイリーホテル」へ。原田先生・中村先生
と昼食。

午後12時半から昼寝。寒い。少し体調不良。

1時間ほど寝る。

その後読書「青年の環」。

午後3時、受信メールを読む。必要なメール送信。

日本のマルタカ社長から電話。
SKYPEで話し合う。

午後5時過ぎ日本料理店へ。
こどもたちと夕食。

今日はブンの麺。


こどもたちは、唐辛子を大量に投入。ブン麺は真っ赤。

●私のブン麺

●リー君のブン麺

今日は10人の来客。各種の料理を注文あり。

接客・会計を担当するグエットさんとサポートの中村先生

午後9時前、閉店。

その後、リー君に2杯の生ビールを勧める。



最近は自覚を持ってよく仕事をしている。信賞必罰。

原田先生・中村先生と「ハイリーホテル」へ帰る。


投稿者 koyama : 23:27 | コメント (0)

2010年01月07日

ベトナム事務所で打ち合わせ 日本料理店

晴天

午前10時の気温26度、湿度60%。

午前7時朝食。マカロニスープ。

私の顔が欠けた写真になったので追加(どうでもいい顔だが・・)

沢山のメールを受信。出来るだけ全てのメールに返信している。

今日1日で47通のメールを受信し、40通に返事を書いた。

午前9時半ベトナム事務所へ。

日本語教育部では日本語教育の一層の向上のための
カリキュラム改定の相談をしていた。中村友香先生も参加

バオミンさんと当面の諸問題を打ち合わせ。

その後、気分転換にバオミンさんと一緒にフエ市内の刺繍専門店を
訪問。各種の刺繍を参観する。目の保養。

刺繍専門店の庭に咲いていた「睡蓮(すいれん)」。

ハスの花の刺繍

菊の花

きれいな刺繍を見て多少「疲れ」が取れる。


その後、ブライセン支社の様子を見に行く。
新入社員のチュン君がしっかり仕事をしているかなどを
VU君に聞く。

「子どもの家」卒業生のチュン君も真面目に仕事をしていた。
ティー君やVU君がITの仕事を教えていた。

午前11時半、昼食。
今日も美味しい食事が出来ることに感謝して・・・・・。

午後12時半から1時間半昼寝。

その後読書「青年の環」(野間宏著)
30ページほどは時代も事情もわかない描写が続く。
かなり読んで行くと時代が戦前ということが分かる。
主人公が左翼運動をしていて、友人が警察に
逮捕され、主人公にも公安警察の手が回り始めるという
事情が分かる。家にある「資本論」「剰余価値学説」・・・の
本の処理をどうするかを考える。場所が元恋人の
舞踏家の演劇の発表会場での出来事で以上の事情が
分かる。
本書は1947年から書き始め24年間かけ1971年に
書き上げた超大作。これからストーリーがどう展開する
のはは分からないが、忍耐強く読む必要あり。

午後3時、メール多数受信。バオミンさんと相談しながら
いくつかのメールに返信。

午後5時過ぎ、日本料理店へ。

夕方、バオミンさんから「リー君がお祖父さんの法事で
日本料理店を休む」との連絡あり。
今日は、接客係りはグエットさんだけで大変だなと
思いながら日本料理店へ行く。

午後5時半、リー君欠席で日本料理店でこどもたちと
夕食を摂る。

今晩の夕食のおかず。アヒルの卵の唐辛子と醤油の煮びたし。
野沢菜の唐辛子肉炒め。

午後6時過ぎからお客さんが入りだす。
グエットさんが一人で接客。大変だなと思っていた矢先、
リー君が帰ってくる。
事情を聞くと、日本料理店が心配なので、お祖父さんの
法事に行く途中で戻って来たとのこと。
日本料理店の仕事を心配していることが分かる。

まずは夕食を摂るように話す。

今日は午後9時過ぎまでで21人の来客あり。
忙しかった。かなり各種の注文があり調理が大変だった。

太巻き(欧米人の注文が多い)

厨房ではこどもたちが一生懸命仕事をしていた。


日本語教師の原田先生、中村友香先生も厨房に入り
手伝う。

来客の新たな注文に応えるために待機しているリー君と
グエットさん。なかなか「良い雰囲気」。
寅さん、いつまで続くか?

グエットさんもしっかりと自分の仕事を遂行している。

オーストラリアから来た家族。両親が英語ガイドブック
「ロンリープラネット」を読んで子どもたち4人に私の
フエでの活動を教えたいと日本料理店へやって来た。
20分ほど、家族と色々なことを話す。

午後9時、家族は食事を終わり帰る。100ドルの寄付を
置いていってくれる。

午後9時過ぎ、21人の来客が帰り閉店。店の片付け。

午後9時半、こどもたちが帰る。
今日は法事に行かずに日本料理店が心配だとのことで
日本料理店に戻ってきたリー君に生ビールをご馳走する。

リー君は「大ジョッキで4杯ほどフダ生ビールを飲む。

色々と問題ある若者(23歳)だが、確実に仕事をして
生きるということを学んできている。素晴らしいことである。
JASSのフエでの存在の意義はリー君を通してある程度
理解できる。

午後10時半、日本料理店を後にする。

今日は21人来客があり忙しかった。

投稿者 koyama : 18:46 | コメント (0)

2010年01月06日

各種業務・日本料理店

曇り 時々晴れ

午前7時朝食。

私の「好きな」『青豆おかゆ』

多少腹痛と吐き気あり。気温が少しさがる。

午前8時半、バオミンさんと電話でいくつかの打ち合わせ。

バンベー36号を静岡の「有が谷さん」が編集してくれる。

有が谷さんの編集したバンベー36号を1ページから
10ページまで目を通し、必要な訂正等を行う。
数時間かかる。

午前11時半。昼食

午後12時半から1時間昼寝。

読書「スプートニクの恋人」(村上春樹著」読了
「1Q84]と同様の「あちらの世界」と「こちらの世界」
を行き来するという不可思議な内容。
現実の世界とは隔絶した内容となっている。
こういう本が好まれる時代なのだ。
私には奥行きのないうすっぺらな本に思えてならない
のだが。これは個人の嗜好の問題。


東京のマルタカ社長より2回電話。仕事について。

バオミンさんといくつかの打ち合わせ。

受信メールへの返信。

午後5時、日本料理店へ。

午後5時半、日本料理店でこどもたちと夕食。

今晩のおかず。「鳥魚」のから揚げ。

クレソンサラダ


私のために「メンタイコ」「数の子」「イカ」を用意してくれる。

午後5時50分、3人の来客あり。

それから午後9時半まで22人の来客が続いてある。
こどもたちはひと時も休みなく「調理」「接客」にあたる。

お寿司、カレー、枝豆など各種の日本料理店を注文。

こどもたちは必死で調理取り組む

きつねうどんを作る


寿司B


焼きうどん

ほんの10分間ほど、お客さんが途切れる。
日本料理店の寅さん、またまた「病気」が復活か?
結果は見えているのだが・・・・・・。


ほとんどのお客さんが「ロンリープラネット」を読んで
来店する。
オーストラリアの若者。ロンリープラネットに「サイン」
を頼まれる。I LOVE PEACE と書く。


オーストラリアのメルボルンからのお客さん
「子どもの家」の活動について質問される

午後9時半、終了。その後、片付け。

午後10時近く、「ハイリーホテル」へ帰還。

長い1日だった。


読書「青年の環」(野間宏作:岩波文庫)を読み始める。
1冊1000ページ近くの文庫本5冊。池袋の古本市で
2100円で買う。1977年版


投稿者 koyama : 00:06 | コメント (0)

2010年01月05日

ベトナム事務所で打ち合わせ

晴天

午前6時前「日の出」

午前7時、朝食。

フエ名物「ブンボー」美味しい。
日本のベトナム料理店で「ブンボー」なる麺を食べると
いつも腹が立つ。これは嘘だと。ブンボーフエの本場の
味は、日本では出せない。ホーチミン市出身者が作る
日本でのブンボーは、「ブンボーフエ」ではない。
「ブンボーサイゴン」である。

3人で雑談をしながら朝食のブンボーフエを堪能する。

その後、部屋に戻り着信メールの確認。必要な返信。

午前9時過ぎ、徒歩でベトナム事務所へ。40分。

晴天。太陽が暑く照らす。「ハイリーホテル」には
フトンが干してあった。

いつもの川沿いを歩く。途中で「子どもの家」のロック寮長に
会う。「子どもの家」のことなどを立ち話。

午前10時、ベトナム事務所着。

ベトナム事務所でバオミンさん・ハンさんと打ち合わせ。
2010年2月21日(日)午後、東京「渋谷勤労福祉会館」
で行われる「2010年現地報告」の内容について打ち合わせる。

2009年の活動の総括・2010年活動方針、
2009年会計報告、2010年会計計画

について1時間ほど話し合う。
今日は第1回目の話し合いとして、次回、1月11日に
第2回目の話をすることを決める。それぞれ執筆分担を
決める。それぞれの内容のポイントを話し合う。

昨日が仕事初めだった。
日本語教育部では各先生方が授業の準備をしていた。
中村友香先生も仲間に加わり2010年の日本語教育に
ついて話し合う。

ベトナム事務所では、バオミン運営委員委員長・アンさん
が真面目に仕事をしていた。

ソン君の席だけは何か華やいだ雰囲気と空気が蔓延していた。

いつも日本語(特に漢字)の勉強をしているクアンさん

ベトナム事務所でも家庭でも「財布の紐を握って離さない」
ハン会計部長

徒歩、「ハイリーホテル」へ。

午前11時半、昼食  春のようなポカポカ陽気

ミネラルウオーターを買う。

丁度、ベトナム事務所にいる時、
ベトナム事務所の備え付けの飲料水を業者が持ってくる。
ついでに「ハイリーホテル」にも持ってくるように依頼する。
19リットルで25000ドン(125円 1リットル7円程度)。
非常に安い。空いたペットボトルが出ない。また安い。
これからこのミネラルウオーターを買うことにする。
水道の水がそのまま飲めるということがどれだけ
素晴らしいかを日本人は知らない。においがするとか
美味しくないなどといっているのは、「贅沢のきわみ」。
水道の水が飲めるのは、本当に幸せなのだ。
ベトナムでは、とにかく飲料水は買わなければならない。


昼食後、昼寝。1時間。

その後読書「スプートニクの恋人」(村上春樹)
突然、小学校の先生がギリシャへ行く。友達のような
恋人ではない女性が行方不明となる。
半分ほど読み進む。


午後2時過ぎ、バオミンさんから電話。
フエ大学関連の件で。何度か電話で連絡を取り合い
ある件についての方策を出す。

静岡大学滝下さんとSKYPEで話し合う。

ハンさんと電話で打ち合わせ。

日本のアクセサリー「マルタカ」の直井社長から
何度もベトナム事務所に電話があったとのこと。
急いで直井社長に電話。いくつか仕事のことで
打ち合わせ。

バオミンさんと連絡。北海道芸術高校スタディーツアーについて
の詳細な打ち合わせをする。


午後5時日本料理店へ。

午後5時半、こどもたちと夕食。

今夜の夕食は「チャオ・バイン・カイン」(小麦粉の手打ちうどん)

日本料理店のこどもたちは唐辛子をたくさん入れる。
私は辛いので唐辛子は少ししか入れない。

私のチャオバインカイン

こどもたちのチャオバインカイン

こどもたちが気を利かして、私のために内田さん寄贈の
メンタイコなどのおつまみを用意してくれている。

午後7時頃、原田先生・中村先生が日本語学校から帰る。
一緒にフダ生ビールを「少し」飲む。

午後9時までに7人の来客あり。

オランダから来た方。料理が美味しいと言ってくれた。


イギリスから来た男性2人は、カツカレーを注文。


カツの残りを少し食べたが、「カラッ」と上げてあり、
美味しかった。

午後9時。閉店。7人の来客程度があまり忙しくなくて
丁度いい。20人とか27人となるとこどもたちの
目がつりあがってしまう。

午後9時15分過ぎ、中村友香先生と一緒に「ハイリーホテル」へ
帰る。原田先生はリー君と何やら「打ち合わせ」があるようだ。
多少アルコールの香りプンプンの打ち合わせのようである。
リー君は笑み満面で「打ち合わせ」に行く。

長い1日が終わる。


加藤紘一自民党衆議院議員が「鳩山首相の」
ツイッター使用を批判している。首相はやるべきでない、との
見解は良識的である。首相は国民に説明責任がある。
140字で説明責任は果たせないとの見解だと理解する。
私は自民党加藤紘一氏の指摘を支持したい。
ツイッターは140字以内の「つぶやき」を不特定多数向けに
投稿できる無料ウェブサービス。加藤氏も利用を考えたが、
「我々は国をどうするか深く考える立場。ツイッターは
深く考えたら面白くない」と断念したという。
140字ということは、この火炎樹日記4行程度である。
何が説明できるのか?本質を突く説明はできない。
人生と世の中は「複雑」なのである。

結局、「大衆受けのする」単純な内容の説明しかできない。
今の日本のマスコミも日本人も物事を深く考えないように
なった。
テレビのワイドショーなどでの政治論議は、一人1分か
2人でコメントを述べるという「馬鹿な方式」である。
日航退職者の退職金削減問題を1分か2分で説明できる訳
がない。結局、表層的な見解を述べて「お茶お濁す」ことしか
できない。社会や世の中のこと、夫婦や男女問題の
もつれなどを1分や2分で説明できる訳がない。
ましてや140字で首相が「愚痴をこぼす」ツイッターなど
やる暇があったら、新宿や池袋で1時間程度の街頭演説を
するか、HPでしっかりと見解を述べるなど、政治家として
自分のしっかりとした見解を述べるべきである。
愚痴やつぶやきを庶民がいい合うのは、健全なことである。
しかし、一国の首相が愚痴を言っていては仕方がない。
この種の問題から首相は「一線を劃すべき」である。
一般庶民が「愚痴やつぶやき」を言うのか自由だが、
一国の首相が「つぶやきや愚痴」言っていては仕様がない。

自民党の加藤紘一氏の指摘は的を射た見解と見た。

投稿者 koyama : 17:23 | コメント (0)

2010年01月04日

2010年、仕事初め

晴天

気温24度、湿度60%(午前10時・「ハイリーホテル」5階)

午前7時朝食。今日から元日本語教師の中村友香先生が
朝食に加わる。今まで原田先生と二人だった食事が
一層、美味しくなる。

朝食は「キャッサバ芋麺」

午前8時。受信メールのチェック。いくつかの年賀状メールへの
返信。

日本へ長文の年賀状を書く。

帯広の芳村さんへ電話。新年の祝賀。

読書「スプートニクの恋」(村上春樹著:講談社)
初めから「レスビアンとかなり露骨なセックス」描写あり。
それはそれでいいのだが、小説の小道具がアメリカの
衣類だったり、アメリカの音楽だったり、欧米の文学の
引用だったりする。何となく、現実の日本から離れた
気分となる「空想的な装置」が出来上がっている。
ノルウエーの森も1Q84もそうだが、村上春樹の
本には、人間の現実的な生存感が極端に欠けている
特徴がある。これは「良い悪い」の話ではないが。
ぐたぐたと22歳の大学中退作家志望の女性との会話が
続く。男性は小学校の教員。実際にこんな気楽な生活を
している小学校の教員などいるわけがないが。
ギリシャの小島から「ギリシャに来て・・」と電話があると
ギリシャに飛んでいく小学校教員。
村上文学が世界で売れているそうだが、こうして生活感の
ない「フワフワ」した文学が受けているということは、現代人
の生活が逆に生活に追われ、ギクシャクしていることの
逆説的反映と見た。村上文学は、そうした世界の「豊かさの
中の貧困現象」の裏返しとして支持されている側面があるように
思えた。

ある文書のベトナム語の日本語翻訳を詳細にチェック。
大きな点を直す。

午前11時半、昼食。

午後12時半、昼寝。1時間熟睡。外は日本で言えば
春のような「ポカポカ陽気」。

その後読書「「スプートニクの恋」(村上春樹著:講談社)

バオミンさんと電話で打ち合わせ。
2010年2月21日(日)午後、東京渋谷勤労福祉会館で行われる
「現地報告会」で報告する内容つくりを始める。

「朝日新聞人物データーベース」収録依頼が来る。

ストリートチルドレン芸術祭事務局より「2010年のカレンダー」が届く。

2005年3月25日愛・地球博瀬戸会場市民パビリオンで、
オープニングセレモニーが行われ、その後「ストリートチルドレン
芸術祭チャリティーカレンダー」作成が行われた。

私たちJASSも毎年「子どもの家」のこどもたちの作品を出展し
何人かのこどもたちが、12枚のチャリティーカレンダーに
掲載されている。絵画は著名人が選ぶという形式をとっており、
第1回目に出展したタン君は元ニューヨークヤンキースの
松井秀喜選手が選んでくれた。

今回は第5回目となる「2010年」のカレンダーである。
2010年カレンダーは「3月」に「子どもの家」のNGA(ガー)さん
高校1年生の作品が選ばれた。NGAさんは父親が死亡、
母親が再婚し子どももでき、行くところがない。
入所当初はハノイ語を話すので「フエ語」の「子どもの家」の
こどもたちから多少からかわれた。
さすが社会主義64年のハノイ出身である。
NGAというベトナム語は「ロシア」という意味である。
NGAさんは日本語に直すと「ロシアさん」ということになる。
社会主義ベトナム人民の「憧れだった」ソ連のロシアの名を取った
のだがそのソ連は消滅してしまった。

絵の題名は「デザイナーになりたい」。

NGA(ガー)さんの作品を選んでくれたのは、女優の「長山藍子さん」
である。長山さんに感謝したい。


長山藍子さんのNGA(ガー)さんの絵の批評は以下の通り。
『選出した絵は、デザイナーになりたい、という作者のこどもの
夢が描かれています。夢の持つ豊かなパワー、エネルギー
を感じました。様々な境遇ある子どもたちは、いつでも夢や希望を
持ち続ける社会になりますように。・・・・」

同時にこうした活動をコツコツと
進めている「ストリートチルドレン芸術祭」のスタッフの皆様の
地道な活動にお礼を言いたい。
「ストリートチルドレン芸術祭」の連絡は
htt://children-smile.com/

午後5時、ベトナム事務所へ。

午後5時半、日本料理店夕食。

中村先生もフエ高等師範大学の授業を終わり夕食に参加

支援者の水越さんから送られたクリスマスカードを喜ぶリー君。

クリスマス会寄贈の内田さんからの差し入れのメンタイコ、
と数の子、イクラのしょうゆ漬け。生ビールには最高に美味しい。
中村先生・原田先生と頂く。

今日は午後6時過ぎから午後9時半まで20人の
来客あり。厨房は大忙し。中村先生が厨房を手伝ってくれる。
こどもたちも頑張って注文の料理作り。

中村先生は、日本料理店を創設した時から関わっていた。
ハノイ近郊のバッチャンに食器を買いに行く時にも一緒に
行って買い物を手伝ってくれた。その道の専門家。

調理主任のトウオイさんは、冷静沈着に注文を
捌いていた。

20人の来客のほとんどの人たちは「ロンリープラネット」を
読んできている。私の活動を良く知っている。

イタリアから来たお客さん。私の活動を知りたいと呼ばれる。


カナダのバンクーバー島のクオーリカム地区から来た
カナダ人。JASSのカナダ支部がある。
その話をすると一気に話が弾む。


午後9時半、20人の来客が帰り、閉店の準備。

午後10時「ハイリーホテル」へ戻る。

投稿者 koyama : 17:24 | コメント (0)

2010年01月03日

寝正月(第3日目)

終日曇り

気温25度 湿度65%(午前10時半)

午前5時、洗濯。

午前7時起床。

ベッドの中で読書「明暗」(夏目漱石)読了。
サスペンスドラマのようなストーリーの展開があり、
「次は? 次は?」とどんどん引き込まれる。
圧巻は、主人公らしき津田の奥さんと津田の妹の争い。
嫁と小姑の「腹に一物持った」上での表面上の穏やかな
争いが、ついには激論となる場面。あな恐ろしや、
女性(にょしょう)の微笑の裏に隠された陰湿な攻撃力よ。

漱石の死の直前になると主人公のような津田が、かつて
婚約したのか寸前まで行って突然逃げていってしまった
女性が温泉で逗留しているところを訪問するシーンがある。
津田は、淡い期待と気持ちを持ちつつ温泉の逗留場へ
行くのだが、元の彼女は、元の彼女ではなく人妻となり
婉曲ではあるが、津田に対してきっぱりと「拒否」の意思を
表示するところで188回目の最後の場面となり、漱石の
死を迎える。

明暗は1916年5月から12月まで朝日新聞に連載され
188回目で漱石の死によって中断。
私は「明暗」を新聞小説の一読者の立場で読んだ。
様々な人物が登場し、ある意味でどこにでも起こりそうな
夫婦、親族、兄弟の人間模様が描かれ興味深く読んだ。

午前11時、『釜揚げうどん』(軽く二つ掴み程度)
1キロ買ったうどんの3分の2が残ってしまった。

午後12時過ぎから2時間ほど昼寝。

読書「スプートニクの恋人」(村上春樹著:講談社)
冒頭から22歳の作家志望の女性が17歳年上の
韓国籍の女性に恋をする場面となる。今後、
ストーリーはどう展開していくのか? 1999年作品。

午後2時頃、中村友香先生が、味噌汁を作って
持ってきてくれた。ありがたい。夕食に。

夕方、ベトナムのほか弁(100円)を買いに行く。

午後6時から正月三が日の最後の祝杯を一人で
上げる。缶ビール2本。
「浦霞禅 純米吟醸」(宮城県塩釜)を飲む
(三が日最後の仕上げのお酒)


最近物が食べられなくなった。缶ビール2本と
日本酒ちょっと飲んだだけで、ほか弁が口に
入らない。おかずの野菜を少しつまむ程度しか
入らない。基本的には、「物を食べると飲めなくなる」と
いう恐怖感があるのだ。困ったものである。
ほか弁半分と中村友香味噌汁。

新年のお祝いのメール受信。返信。

1日・2日と2日かけて「明暗」を読んだ。
読んで楽しかった。読書は「娯楽」である。

明日からいよいよ通常業務に復帰する。
午前8時からベトナム事務所が始まり、午後5時で終了。
午後5時半から日本料理店で夕食。その後、午後9時半まで
日本料理店の監督と称し飲んでいるだけだが・・・・・。

毎日、午前7時の朝食から午後10時までの日本料理店
の仕事が続く。


「ハイリーホテル」で飲みながら2010年の課題を
ノートに羅列してみる。

10箇条ほどある。
この10箇条は、JASSとしての「戦略的な課題」である。
当面の戦術的な課題もかなりある。
2010年もJASSベトナム事務所に取っては、多難な
年と言えるであろう。多難な年であるからこそ、
やりがいもあるのだ。人のできないJASSだけの
現地のNGO活動を作り上げて行きたいとの
抱負を持っている。その本質は、「現地の自立」
「本当の自立」である。見せ掛けの自立、嘘の自立
ではなく、本当の自立を実現するという海外NGOの
達成していない課題に挑戦する気概と勇気が必要
である。そこで、フダビールと「浦霞禅吟醸純米酒」が
必要なのである。この弁証法の理解が必要である。

投稿者 koyama : 12:31 | コメント (0)

2010年01月02日

寝正月(第2日目)

晴天

終日青空

昨夜午後8時半に寝たが、そのまま今日午前7時まで
熟睡。緊張の糸が切れたのか、様々な問題を
この3日間は全て忘れて自由に過ごすことにしたことが
原因か12時間ほど熟睡。

下痢も治り体調も回復する。下痢止めの抗生物質を
寄付して下さっ内田征子さんに感謝。抗生物質がなければ
正月三が日は、下痢で食事もできず寝ていた筈。


「ハイリーホテル」の5階から外を見る。気温26度、湿度50%。
適度の湿り気、寒くもなく暑くもない気温。
(日本では気温26度は「夏日」になるが、ベトナムの気候に
なれてしまうと丁度いい気温)

「ハイリーホテル」前の墓地を「ぶち壊して」宅地に改造。
先祖を崇拝するベトナム人気質も「拝金主義」、急速な
「資本主義化」には、負けてしまっているようだ。
墓地の3分の1ほどには裁判所が建築されている。

「子どもの家」のこどもたちや「卒業生」が新築裁判所の
お世話にならないことを心から祈っている。

3分の2程が、多分宅地として販売されるのだろう。
墓地を改修し、裁判所・宅地販売に関わった人たちが
大儲けすることだけははっきりしている。


2年ほど前に「ハイリーホテル」に越してきた時には、
近所の家は疎(まば)らだった。2年後の今日、
近所には家が立ち並んでいる。建築ラッシュの
フエの現実を近所に見る思いである。
正月元旦から今日もだが、建築のドリルの音、
金属をハンマーで叩く音が朝から耳元で聞こえる。
窓を開けておくと「頭にキーン」とくる。
私は音と暗闇と高さと尖端(とんがっているもの)には
異常な恐怖を感じる。ベトナムで一番嫌なのが「音」である。
大きな音、異常な不協な音などが始終、気になる。
ベトナム生活16年。一番「嫌なこと」は『音』である。

午前7時から午前10時まで読書。「明暗」(夏目漱石)。
次から次へと人物が登場する。主人公(津田)は一応、勤め人
と思(おぼ)しき人物のようだが、必ずしも主人公とも思われない。
30歳代既婚。それでも父親から毎月の仕送りをしてもらって
いる気ままな人物だが、世情・人物の批判批評にはうるさい。
父親が官吏だったせいで全国を転勤。父親の依頼で
伯父さん(父親の弟)に預けられ育つ。
その伯父さんが「一家言」ある文筆家。世間社会の批評を生業
としている売れない文筆家。
その伯父さんの家で結婚が話題となる。伯父さんは、
真面目な文筆家。「今時の若い者はなっていない」論者。
昔は、娘さんを見て好きになるなどということはなかった。
娘さんには両親がいて、両親の所有だったのだ、などという
気持ちを持っている。伯父が主人公(津田)に
「お前は、娘さんを見て何と思ったのだ」と聞く。
座にいる人たちは当然「それはご両親もいるし、勝手に好きに
などなれません」と答えるのを全員期待しているところに
「女でしょう」と答えてしまう。関西の吉本ならここで全員ズッコケル
所。この息は、まさに落語の息である。漱石が大の落語好き
であり、特に3代目の柳家小さんを贔屓(ひいき)にしていたこと
は有名。ちなみに亡くなった永谷園の人間国宝柳家小さんは
5代目柳家小さん。息子が現在の6代目柳家小さん。6代目の
甥が柳家花禄(先日、林家きく姫と婚約・同棲を解消した)である。
漱石が3代目柳家小さんに入れ込んでいたという事は聞いて
いたが、落語をそっと「明暗」の会話の中に取り入れている
のである。その後に出てくる「大衆酒場」のシーンも、まさに
落語の熊さん・八さんの職人の世界である。

津田と奥さんとの心理的なやり取りは、90年前の
漱石が書いた時代と現代の夫婦と全く変わっていない。
人間の心理はそう時代が変わっても変わるものではい。

午前10時半、「小麦粉の手打ちうどん」二掴み程度を
湯でて、「釜揚げうどん」にして食べる。
生卵をといて、醤油をいれ、お湯と薬味のねぎを入れるだけの
シンプルな食事。消化によい。父親が中国で軍人だった頃、
野戦食として「乾麺」をこんな風にして食べたそうだ。
こどもの頃、父親がこのようにして乾麺を食べていた。

受信メールを開く。メール年賀状が来ている。
ありがたいことである。返事を書く。

午後12時過ぎ、1時間ほど昼寝。

読書「明暗」。

午後2時頃か、中村友香先生が5階の私の部屋まで
来てくれて「味噌汁を作ったので」とのこと。
頂く。夕食時に食べる。大根、カボチャ、ねぎ、人参などの
入った野菜たっぷりの健康味噌汁。日本でも私は同種の
味噌汁を作る。感謝。

夕方5時まで「明暗」を読む。400ページ(3分の2)ほど
読む。全く飽きない。興味津々。次から次へと登場人物が
現れる。それそれが主人公であるかのように個性と
特徴を持っている。この本は一種の「心理戦争」のような本。
人間の社会では嫌なことでも嫌と言えずに「付き合う」ことで
成り立っているが、漱石は「表面」そうしたことを肯定し、
そう描写しつつ、その裏の「本心」をしっかりと辿っている。

「良いですね」が「嫌です」という人間の複雑な言葉の
裏を解明している。いつの時代も人間がいる限りは
続くことではある。
小林という「偏屈」な男が出てくる。これが私には
妙に魅力のある人間に映った。妹しか係累がなく、
出版の下働き程度の仕事をしているのだが、
人間の心理の「言ってはいけない事」を選りすぐって
言いまくるという不思議な人物。津田などほとんどの
登場人物が上流階級の人々であるが、「小林」には
肉体労働者の代表のようなことを言わせている。
漱石はこの「小林」をどんな気持ちで描写したのだろうか?

「明暗」に「寂しい(さむしい)」とルビが振ってあった。
私の叔母や父が「さむしい」と言っていた。
当時、私が小学校で「さみしい」と学んでいたので
父親や父の妹(大塚在住)の「さむしい」という言葉に
違和感を感じていた。しかし「明暗」を読むと当時の
東京の人たちの中に「さむしい」という言葉を使って
いた人たちがいたことが分かる。
父親は「タバコ」を「タボコ」と言っていた。
桂文楽の落語を聴くと「タボコ盆」と言っている。
昔の東京下町の言葉が、タバコではなく「たぼこ」だった
ことが分かる。

午後5時、夕食の「ほか弁」を買いに行こうとしたら
原田先生・中村先生が夕食を食べに行くとの事。
ベトナム事務所の日本語の先生と一緒に食事を
するようだ。私は部屋で一人で「ほか弁」を食べたかったので
ほか弁屋に行く。昨夜、2合のお米を炊いたので
ほか弁屋では、「野菜」だけ買う。10000ドン(50円)
ご飯がつくと20000ドン(100円)。ということは、1合弱
のご飯が50円するということだ。
昨日買ったお米は1キロで80円。何合になるかは知らないが
1キロの米は一升程度はあると思う。

午後7時、フダ缶ビール2本と野菜、支援者の方から頂いた
「ホタテ」の煮物をおつまみに新年を祝う。


その後、静岡県袋井市の取って置きの純米吟醸酒「国香」を
チョビチョビと飲む。静岡の支援者からの差し入れ。
私を吟醸酒の怪しい世界に導いたのは、JASS静岡の会の
事務局長である笠井先生である。
この人は不思議な人である。強いて言えば「現代の茶人」
である。深い教養と日本民族の文化を熟知している。
JASSベトナムの活動を日本で最初に新聞(毎日新聞)に
紹介してくれた人でもある。同時に純米吟醸酒やお茶にも
やたら詳しく「うるさい」人である。まだ若い(私より)。
この年でお茶の味を知り、純米吟醸酒の味を知っているのは
昔で言えば、「茶人」ということになる。強いて言えば
「松尾芭蕉」のような人。「茶人」とは現代で言えば
「教養人」である。今の学校は「教養人」を評価できない
無能な組織なのである。

この世界に入ってしまうと「抜け出せない」。美味しいものは
美味しいのだ。笠井先生は、その道の達人。私に色々な
銘柄の純米大吟醸・純米吟醸・吟醸などを教えてくれた。
吟醸酒の味を覚えたことは、人生を3段階から5段階広く
且つ高めてくれた。改め笠井英彦先生に感謝したい。
吟醸酒は日本文化そのものである。
魏志倭人伝にも
「 その死するや棺有れども槨無く、土を封じてツカを作る。
始めて死するや、停喪すること十余日なり。時に当たりて
肉を食わず。喪主コツ泣し、他人就いて歌舞し飲酒す。」
とある。もっともこの酒は「どぶろく」のような酒と考えられる。
清酒ではないが、2000年前から日本人は酒を飲んでいる。
日本文化の伝統である。

以前、天皇主催の園遊会で「私の任務は、全国の学校で
君が代・日の丸を実施させることです」と宣った(のたまった)
将棋の棋士がいた。天皇は「そうしたことは個人の問題では
ないですか?」と聡明な返答をしている。
君が代・日の丸を言う前に憲法3条から7条をしっかりと
勉強して、無知蒙昧な自分自身を恥じなければならない。
そして米長棋士さん、日本の伝統を国民に教えるのなら、
吟醸酒の味を全国に普及する「米長吟醸酒普及隊」でも
組織して、全国に出かけたほうが良いですよ。
日本民族の伝統と誇りを言うのなら、吟醸酒の味を
多くの人に知ってもらうことこそ、わが日本民族の
素晴らしい伝統に国民が誇りを持つというものである。
(チト飲みすぎて脱線。正月の酒でご勘弁を)

美味しい。甘く独特な上品で淡白な香り。
清酒「K桜」だとか「R関」などを飲んでいる人は
是非、この純米吟醸酒を試して欲しい。

日本料理店にも吟醸酒を私が頑張って日本から持って
来て置いていた。久保田満寿を小グラス10ドル(900円)
で出していたが、何人もの日本人が「高い」「高い」とう。
彼らが、清酒「K桜}「R関」の感覚で高いといっている。
吟醸酒をしらない。日本では久保田満寿の小グラスは
1500円程度はする。日本から持ってきたことを考えると
900円は無料奉仕のような値段なのだが・・・・・。
そんな事情があって、吟醸酒は私やベトナム事務所の
スタッフだけが飲むことにし日本料理店は安いお酒を出している。

締めにご飯5勺と中村友香「味噌汁」。

今日は数日振りにしっかりと夕食を摂った。

ーーーーーーーーーーーーー
日航の社長が歴代の社長に対し、退職金の返還を
求めることを決めたそうだ。「罪」の重さに比例して。

私は以前から日航の退職者の年金をカットすることは
間違っているとの考えに立っている。
確かに年金が毎月50万円ほどというのは、高いとは
思うが、これは、本人たちが現役のころそれなりの
掛け金を拠出していたのである。
年金の1階部分である国民年金、2階部分である
厚生年金の掛け金を拠出し、更に3階の部分の
日航年金の部分も退職金などを充当し拠出していたの
である。例えて言えば、民間の年金に自分でお金を出して
加入していたのである。その年金を「高額だから」と
減額するのは社会的な通念に反する。

現日航の社長が歴代の社長の退職金を返還するよう要求
する措置を取るというのは、当たり前のことである。
日航の一般労働者には「政策決定権」「企業運営決定権」はない。
決定権のない人間の責任を追求するのは違法である。
決定権を持っている人間の責任を今こそ厳しく追及すべきである。
日航の歴代社長の邸宅や財産を全て没収し、4畳半の生活に
すべきである。

同時に最大の責任者は歴代の運輸大臣である。
必要もない地方空港を97も作ったのである。47都道府県
に平均二つの地方空港を作った責任は歴代の運輸大臣に
ある。当然、ゼネコンとの癒着もあるだろう。
最近では「静岡空港」「茨城空港」などは、漫画空港である。
茨城空港は国内線ゼロの空港である。何の意味があるのか?
成田空港の直ぐそばに意味のない「地方空港」を作った
運輸省と日航社長の責任こそマスコミと世論は厳しく
追求すべきである。中小企業の社長は企業の経営に
失敗したら自殺して、その生命保険で社員の給料や
退職金を出している人もいるのだ。
大企業の社長や運輸大臣など「お偉いさん」は
こどもたちや国民の「道徳」がなっていないと偉そうな
ことを言っているが、道徳がないのは「貴方たち」なのだ。
昔の日本人は自分の「身の処し方」を知っていた。
身の処し方を知らない日航の歴代社長、歴代運輸大臣
こそ、全財産を国庫に差し出し、4畳半のアパートでの生活を
すべきである。
日航の労働者の年金削減だけを報道する日本の
腐ったマスコミは、歴代の日航社長(政策の決定権を持っていた)
や歴代の運輸大臣の政治責任を厳しく追及し、歴代日航社長の
全財産と歴代運輸大臣の全財産の没収をした後、日航労働者の
年金問題を論じるべきである。

(当面関係しそうな歴代運輸大臣)
偉そうに記者会見している石原親子には担当大臣としての
重大な責任がある。民主党の議員にも運輸大臣としての
責任あり。全ての財産をなげうって「4畳半のアパート」へ
引っ越してから、政治的な発言をすべきである。

荒舩清十郎 第1次佐藤第2次改造内閣 1966年8月1日 - 1966年10月14日 自由民主党
35 藤枝泉介 第1次佐藤第2次改造内閣 1966年10月14日 - 1966年12月3日 自由民主党
36 大橋武夫 第1次佐藤第3次改造内閣 1966年12月3日 - 1967年2月17日 自由民主党
37 第2次佐藤内閣 1967年2月17日 - 1967年11月25日 自由民主党
38 中曽根康弘 第2次佐藤第1次改造内閣 1967年11月25日 - 1968年11月30日 自由民主党
39 原田憲 第2次佐藤第2次改造内閣 1968年11月30日 - 1970年1月14日 自由民主党
40 橋本登美三郎 第3次佐藤内閣 1970年1月14日 - 1971年7月5日 自由民主党
41 丹羽喬四郎 第3次佐藤改造内閣 1971年7月5日 - 1972年7月7日 自由民主党
42 佐々木秀世 第1次田中角榮内閣 1972年7月7日 - 1972年12月22日 自由民主党
43 新谷寅三郎 第2次田中角榮内閣 1972年12月22日 - 1973年11月25日 自由民主党
44 徳永正利 第2次田中角榮第1次改造内閣 1973年11月25日 - 1974年11月11日 自由民主党
45 江藤智 第2次田中角榮第2次改造内閣 1974年11月11日 - 1974年12月9日 自由民主党
46 木村睦男 三木内閣 1974年12月9日 - 1976年9月15日 自由民主党
47 石田博英 三木改造内閣 1976年9月15日 - 1976年12月14日 自由民主党
48 田村元 福田赳夫内閣 1976年12月14日 - 1977年11月28日 自由民主党
49 福永健司 福田赳夫改造内閣 1977年11月28日 - 1978年12月7日 自由民主党
50 森山欽司 第1次大平内閣 1978年12月7日 - 1979年11月9日 自由民主党
51 地﨑宇三郎 第2次大平内閣 1979年11月9日 - 1980年7月17日 自由民主党
52 塩川正十郎 鈴木善幸内閣 1980年7月17日 - 1981年11月30日 自由民主党
53 小坂徳三郎 鈴木善幸改造内閣 1981年11月30日 - 1982年11月27日 自由民主党
54 長谷川峻 第1次中曽根内閣 1982年11月27日 - 1983年12月27日 自由民主党
55 細田吉蔵 第2次中曽根内閣 1983年12月27日 - 1984年11月1日 自由民主党
56 山下徳夫 第2次中曽根第1次改造内閣 1984年11月1日 - 1985年12月28日 自由民主党
57 三塚博 第2次中曽根第2次改造内閣 1985年12月28日 - 1986年7月22日 自由民主党
58 橋本龍太郎 第3次中曽根内閣 1986年7月22日 - 1987年11月6日 自由民主党
59 石原慎太郎 竹下内閣 1987年11月6日 - 1988年12月27日 自由民主党
60 佐藤信二 竹下改造内閣 1988年12月27日 - 1989年6月3日 自由民主党
61 山村新治郎 宇野内閣 1989年6月3日 - 1989年8月10日 自由民主党
62 江藤隆美 第1次海部内閣 1989年8月10日 - 1990年2月28日 自由民主党
63 大野明 第2次海部内閣 1990年2月28日 - 1990年12月29日 自由民主党
64 村岡兼造 第2次海部改造内閣 1990年12月29日 - 1991年11月5日 自由民主党
65 奥田敬和 宮澤内閣 1991年11月5日 - 1992年12月12日 自由民主党
66 越智伊平 宮澤改造内閣 1992年12月12日 - 1993年8月9日 自由民主党
67 伊藤茂 細川内閣 1993年8月9日 - 1994年4月28日 日本社会党
- 羽田孜 羽田内閣 1994年4月28日 内閣総理大臣による臨時代理 新生党
68 二見伸明 羽田内閣 1994年4月28日 - 1994年6月30日 公明党
69 亀井静香 村山内閣 1994年6月30日 - 1995年8月8日 自由民主党
70 平沼赳夫 村山改造内閣 1995年8月8日 - 1996年1月11日 自由民主党
71 亀井善之 第1次橋本内閣 1996年1月11日 - 1996年11月7日 自由民主党
72 古賀誠 第2次橋本内閣 1996年11月7日 - 1997年9月11日 自由民主党
73 藤井孝男 第2次橋本改造内閣 1997年9月11日 - 1998年7月30日 自由民主党
74 川崎二郎 小渕内閣
小渕第1次改造内閣 1998年7月30日 - 1999年10月5日 北海道開発庁長官(1999年1月14日以降) 自由民主党
75 二階俊博 小渕第2次改造内閣 1999年10月5日 - 2000年4月5日 北海道開発庁長官 自由党
76 第1次森内閣 2000年4月5日 - 2000年7月4日 北海道開発庁長官 保守党
77 森田一 第2次森内閣 2000年7月4日 - 2000年12月5日 北海道開発庁長官 自由民主党
78 林寛子(扇千景) 第2次森改造内閣 2000年12月5日 - 2001年1月5日 建設大臣・北海道開発庁長官・国土庁長官 保守党

(歴代国土交通大臣)


1 林寛子(扇千景) 第2次森改造内閣 2001年1月6日 - 2001年4月26日 保守党
2 第1次小泉内閣
第1次小泉第1次改造内閣 2001年4月26日 - 2003年9月22日 保守新党
3 石原伸晃 第1次小泉第2次改造内閣 2003年9月22日 - 2003年11月19日 自由民主党
4 第2次小泉内閣 2003年11月19日 - 2004年9月27日
5 北側一雄 第2次小泉改造内閣 2004年9月27日 - 2005年9月21日 公明党
6 第3次小泉内閣
第3次小泉改造内閣 2005年9月21日 - 2006年9月26日
7 冬柴鐵三 安倍内閣
安倍内閣改造内閣 2006年9月26日 - 2007年9月26日 公明党
8 福田康夫内閣 2007年9月26日 - 2008年8月2日
9 谷垣禎一 福田康夫改造内閣 2008年8月2日 - 2008年9月24日 自由民主党
10 中山成彬 麻生内閣 2008年9月24日 - 2008年9月28日 自由民主党
臨 (河村建夫) 2008年9月28日 - 2008年9月29日 自由民主党
11 金子一義 2008年9月29日 - 2009年9月16日 自由民主党
12 前原誠司 鳩山由紀夫内閣 2009年9月16日 -

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2010年01月01日

1月1日 2010年の幕開け

快晴  

気持ちの良い迎春 雲ひとつない青空の新年。
2010年のJASSの発展を暗示するかのような
どこまでも澄み切った青空の元旦を迎えた。

午前7時、気温22度 湿度60%

午前6時起床。

年末は体調を崩し、忙しいこともあり部屋の掃除をしていない。
元旦の掃除はしてはいけない、福が逃げるからと
両親に言われていたことを思い出す。
しかし、ホコリっぽくて気分が悪い。朝早く、部屋とトイレと
洗濯機の部屋を掃除する。

シャワーを浴びる。

今日1日の日程を考える。
30日・31日とお酒も飲まず、脂ものや消化に悪いものも
食べすにいた。何とか、元旦から体調がほぼ復活しつつ
ある。
しかし、3が日は、寝正月とすることに決めた。
休養が大事。
2009年は1年間、本当に忙しかった。休む暇なく
仕事をした。
1日・2日・3日は、ゆっくりと部屋に篭り、休養する
ことに決めた。1キロの小麦の手打ちうどん(チャオバンカン)
がある。

午前9時、ソン君から電話。「今、ハイリーホテルの玄関に
いる」とのこと。急いで1階へ下りる。
ソン君が中村友香先生を案内して「ハイリーホテル」へ
来た。今日から中村先生は「ハイリーホテル」に宿泊。
玄関の鍵をあけて4階の中村先生の宿泊する部屋に
案内する。既に税田さんが、あらたかの掃除と部屋の
準備をしてくれている。

中村先生の部屋の電気湯沸かし器シャワーの使い方を
教えるソン君と中村先生

中村先生・原田先生・ソン君と屋上に上がり、フエの町並みを
見る。穏やかな元旦である。もっともベトナムでは1月1日は
ほとんどお正月と思っていない。2010年2月14日の
旧正月(TET正月)が本当のお正月である。


受信メールを見る。支援者の方々からの暖かい励ましの
言葉アリ。

調理主任のトウオイさんに買って来てもらった
小麦粉の手打ちうどんを「湯でて」食べる。
その前に
2010年の冒頭に飲まなければ、今年1年間飲めなくなるという
妄想にかられ、軽くフダビールを飲んで見る。あくまで試飲である。
1本試飲してみた。お腹に聞いてみた。「まだ大丈夫だよ」と
こだまが返ってくる。2本目の試飲。「もうろそろろ」との声が
聞こえる。2本のフダビールを飲む。これで体調も回復しつつ
あることが、フダビールを2本飲めたことで「医学的」「科学的」
に証明された。
兎にも角にも「1年の計は元旦にあり」。
元旦に飲まなかったら2010年の1年間「飲めなくなる」
との脅迫観念に負け、飲んでみるが、結構美味しかった。

3日間の休養の後、1月4日からまた仕事を始める。

主要各紙・主要政党の主張・社説をインターネット
でチェックし熟読。

朝日:日米同盟(の模索)
読売:民主党政権に国家戦略なし。日米同盟機軸が重要
毎日:平安遷都1300年 文化の発信が大事
東京:天皇のことばを引用し「支えあう社会」を作ろう
産経:日米機軸路線を構築せよ
赤旗:今、政党のあり方が問われている
    政治の過渡期だ
社民:福島党首  憲法改悪阻止、連立政権内で頑張る
自民党:谷垣総裁  「おおらかな保守主義」


主要政党党首の公式ホームページを見た。
2010年1月1日の掲載があったのは
民主鳩山、自民谷垣党首、社民党福島党首、国民新党亀井代表だけ。
共産党・公明・新党日本の党首や代表の
公式HPなどの1月1日付け更新はない。

その後、小麦粉の手打ちうどんを湯でて食べる。

午前11時。昼寝開始。


今年は父親の生誕100周年になり、朝鮮併合100年でも
ある。明治の残りがまだ私の体の中に多少残っている感あり。

読書「明暗」(夏目漱石著:新潮社)
600ページ近い大著。
好きな時起きて、好きな時食事を摂り、自由に本が読めるのが
私の一番の楽しい時。弱く暖かいフエの「冬」の日差しを
浴びながらベッドに寝転び本を読む。至福。
ベトナムでの全ての生活は訪問者の方々の日程や
人民委員会・共産党幹部の方々の日程に合わせて
常に行動している。たまに自分の自由に生活できるのが
嬉しい。

午後3時過ぎ、東京の次男の孫から電話あり。
電話でかなりしっかりと話せるようになっていた。
今日は、巣鴨のお地蔵さんに初詣に行ったそうだ。


午後6時半、大晦日に買った1キロ80円のベトナム米2合を
炊き、昨日の望年会の残り物、支援者から頂いた
「味噌漬け」各種、沢庵で夕食。5勺ほど食べる。
ごぼうと生姜の味噌漬けが何とも美味しい。
5勺ごとにパックに入れ3つのパックを冷凍する。

午後7時半、読書「明暗」(夏目漱石著)

投稿者 koyama : 11:28 | コメント (0)

明けまして おめでとうございます

謹賀新年

全国のJASS会員の皆様
全国の支援者の皆様
全国の火炎樹日記読者の皆様

2010年の幕開けです。
昨年は日米の政権交代・100年に一度と言われた世界不況など
激動の年でした。
ベトナムでも超インフレが続き、お米の値段が2倍3倍とあがり
貧しい人々の日常生活を圧迫しています。

JASSベトナムの10人のスタッフは一丸となって
貧しい家庭のこどもたち、障害児、生活困窮の生徒・学生などの
支援を行ってきました。

JASSベトナム事務所と「子どもの家」を中心に
①JASS観光
②「縫製研修センター」
③「アクセサリー研修センター」
④日本語学校
⑤IT企業ブライセンベトナム支社
⑥刺繍みやげ物店
⑦日本料理店
⑧静岡大学フエ連絡事務所
⑨フエ高等師範大学日本語学科運営
⑩フエ市越日交流委員会運営

などの活動を進めてきました。

2010年は一層、こどもたちの自立、JASSベトナムの
自立を促進したいと決意しております。

また、世界中のこどもたちの人権と生命が守られ
世界から戦争と一切の暴力がなくなるよう小さな力ですが、
JASSベトナムのスタッフ一同協力して努力して行きたいと
思っております。

文末になりましたが関係各位のご健康とご多幸を祈念いたします。

2010年1月1日 元旦

ベトナムの「子どもの家」を支える会
JASSベトナム事務所スタッフ一同

投稿者 koyama : 00:00 | コメント (0)